は、無論、このことを知ろうはずがありませんが、その噂は忽《たちま》ちにして耳へ入りました。
「お代官の江川様へ行く馬方が、大木戸で斬られた」
それを聞くと山崎は、着物を振って立ち上りました。
「どいてくれ、どいてくれ、親類の者がやって来たんだ、どいてくれ」
一足飛びに大木戸まで来て、人だかりを突き退けて前へ出て、ちょうど検視の役人が取調べの真最中へ、臆面《おくめん》もなく面《かお》を突き出して、
「遅かった、遅かった、一足遅かったよ、済まねえことをした。お役人衆、これは拙者の連れの者に相違ござらぬ、拙者が宰領で甲府の城内から、ついそれまでやって来たのが、僅かの行違いでこんなことになりました、委細の申し開きは拙者が致しますが、ともかく、この者の傷所を見せて下さい、どうも合点がいかねえのだ」
山崎は検視の役人に簡単な挨拶をして、ずっと宰領の死骸に近寄って、提灯《ちょうちん》の火をつきつけて、仔細にその斬口を調べたものです。太股に一箇所と、肩から袈裟《けさ》がけ、実に冴《さ》えた斬口です。
全く人違いで斬られたものに相違ない。違われた本人は気の毒だが、違えて斬った者は、たしかにこれを
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