来たのは、甲府の城下から、しかるべき要件があって来たものに相違ないが、内藤家の屋敷内に知る人があって急に思い出した用事から、それへ廻るというのは実は嘘で、山崎にはこの新宿に、ちょっとした馴染《なじみ》の女があったため、ここへ来て、ついそれに会って行きたくなったものらしい。
ところが、この夜に限って大きな間違いが出来てしまったのは、その身代りの宰領が、四谷の大木戸へかかった時分に、何者とも知れず闇の中から躍り出でたものがあって、やにわに馬上の宰領をきって落しました。よほど腕の冴えていたものと見えて、一刀にきって落された宰領は、二言ともなく息が絶えてしまったものです。人々があっと騒ぐ時には、もう曲者《くせもの》の姿はいずれにも見えませんでした。非常な早業であり、非常な手練《てなみ》であったが、止《とど》めを刺す余裕がなかったものか、その必要を認めなかったものか、きり捨てたまま姿を隠してしまいました。懐中の物を奪おうでもなし、荷駄の品物に手をかけようでもありません。何の恨みあって、この宰領を手にかけたものだか、その要領の程が誰にも合点《がてん》がゆきません。
馴染の女と話をしていた山崎譲
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