。過去世も未来世もあったものでありません。神尾はついに金剛力を出しました。その力で、わずかに取縋《とりすが》っていた一条の井戸縄の手が離れました。
「あれ――」
凄《すさま》じい音を立てたのが、この世の別れであったかなかったか、弁信はついに井戸の底へ、生きながら投げ込まれてしまいました。
「あっ!」
これと共に絶叫して、後《しり》えに※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》と倒れたのが神尾主膳であります。
お銀様は我を忘れて、土蔵の二階から倉の戸前まで一息に駈け下りてしまいました。
二階から駈け下りたるお銀様が、倉の重い戸前をあけるには、かなりの暇がかかりました。
ようやく、それをあけて井戸端まで来て見ると、後ろに倒れた神尾主膳は、福村の手によって頻《しき》りに介抱されています。介抱している福村は、度を失うてあわてきっているのがあまりに大仰《おおぎょう》です。
「早く、何とかしてくれ、誰でもいい、早く何とかしてくれ、大将が死んでしまう、この傷を見るがいい、始末が悪い、この傷を見るがいい」
福村は神尾を抑えたり抱えたりして、うろたえ廻っているのを、お銀様は冷笑気
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