、歌を書いた方がいいでしょうか。お経の有難味は、わたしにはまだ本当にわかりませんけれど、歌の面白味はどうやらわかっていますから、いっそお経をやめて、歌にしてしまいたいのです。信心をはじめて途中でよすと、二倍の祟《たた》りがあるということを、よく世間で言いますから、せっかく血で書きかけたお経をやめてしまえば、怖ろしい祟りがあるでしょう。法盛んなれば魔もまた盛んなりと何かの本に書いてありました、人が善心を起すと、きっと悪魔が片一方から妨げに来るそうです。この針の折れたのは、悪魔の仕業《しわざ》にちがいないと思います、悪魔が針の形に化けて、お経を書くわたしの手の中に食い入りました。これが取れなければ、いくらお経を書いても駄目なんでしょう。もし抜けるものならこの針を抜いて下さいまし、わたしの身体が、悪魔のために腐ってゆくことがおいやならば、この針を抜いて下さいまし。あなたは刀を使うことはお上手ですけれども、この短い針の折れ一本を、どうすることもできますまい。おお痛いこと、ヒリヒリと痛みます。それでもこの痛みはなんだかいい心持よ。もう一本、ここへ針を刺してみましょう、ようござんすか、あなた」
 
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