兵馬は待たされることの、いつになく永いのを感じました。自分を待たせておいて、相手になっている今宵の客というのは何者であろうなどと考えました。
 兵馬は実際、自分だけがこの女から可愛がられているつもりでいるのです。外の客はあってもそれは勤めの習いで、その女との本当の愛情は二人の間にのみあるものだと思っているのです。ただ二人の間に不足なのは、金銭が有り余るというわけにゆかないだけのことで、他に金銭を山ほど積むお客が幾らあったとて、二人がおたがいに可愛がるほどの愛情は湧いて来るものではないと思っているのです。遊女に迷うているものの自惚《うぬぼれ》には誰もありそうな心持ですけれど、兵馬のはそれがいかにも初心《うぶ》でした。しかしながら、自分がこうして待っている間に、恋しい女が他の客の相手になっているかと思えば、決していい気持はしません。
 そのうちに東雲は、兵馬の許へ帰って来ました。兵馬が悶《もだ》えているほどに女は気にかけてはおりません。
「兵馬さん、わたしは近いうちに身請《みう》けをされるかも知れませんよ」
と例の通り無邪気な愛嬌をたたえて言いました。
「エ、身請けをされる? 誰に」
 
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