聞き流してしまったもので、尺八そのものの音色《ねいろ》には、どうかすると我を忘れることもあるのが、自分ながら不思議と言えば不思議であります。
 気のせいか知らん、このとき隣室に吹いている尺八の音色が、又なく微妙なものに響きます。吹く人の技《わざ》の拙《つたな》からぬことも、吹かれている尺八そのものの稀れなる名器であるらしいことも、竜之助は聞いて取ることができました。
 吹いている曲は、たしかに「恋慕《れんぼ》」と思われる。
 尺八を吹いているのは金伽羅童子《こんがらどうじ》で、歌をうたっているのが制多伽童子《せいたかどうじ》です。
 二人は双子《ふたご》でありました。もとはしかるべきさむらいの子であったとかいうことですが、みなし児になってこの家に引取られ、実の名もあるにはあるが、この楼《いえ》の者は二人を呼ぶに、金伽羅、制多伽の名を以てして、その実の名を呼ぶ者がありません。
 かつて素人芝居《しろうとしばい》があった時、この楼の主人が文覚勧進帳《もんがくかんじんちょう》の不動明王に扮《ふん》して、二人がその脇侍《きょうじ》の二童子をつとめたところから、その名が起ったものであります。
 
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