姿を現わすにはきまっています。姿を現わさないにしても、いずれにか志す所の安住の地があればこそ、駕籠を傭うたものであろう。駕籠屋とても、めくら滅法界に人を載せて走るというはずはありません。その落着くところと、与えらるる酒料《さかて》の胸算用を度外にして、物好きに人を載せて走るということはありません。駕籠屋をつきとめて見さえすれば、大概はわかることでありますが、その駕籠屋が朦朧《もうろう》にひとしいもので、いずれの町内から運んで来て、いずれへ向って走ったか、それを尋ねると煙の如くになってしまいます。さりとて今更、甲州でもあるまいし、神尾主膳をたよって行くでもなし、宇治山田の米友に介抱されるでもなし、明るい日は一寸も独り歩きのできない身になって、その昔のように、鈴鹿峠を越えて、上方《かみがた》の動乱の渦に捲き込まれようとする勇気もなかろうし、よし勇気があったにしたところが身体が許さないし、今は京都で威勢を逞《たくま》しうしている、かの新撰組の手が江戸へ舞い戻ってでも来るようなら、そのうちにはおのずから竜之助を援護する者も出て来ようけれど、今のところ、そんなあてはなし、早駕籠で飛ばしてどこへど
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