助が言いました。
「エエ、どうも穏かでない騒ぎ方でございます、多分、喧嘩が始まったのでございましょうと思います、そこへ、仲裁の人が出て、ああのこうのと言って、騒いでいるらしうございます」
そこで弁信は、また静かに歩き出しました。声の因って起るところをたしかめておき、どのみち二人は、その方向へ行かねばならないのです。人の噪ぐ声は、いよいよ近くなりました。その数多《あまた》の人が騒ぎ罵《ののし》る中に、人の泣く声が聞えます。そこで、弁信は再びたちどまりました。
「エエ、エエ、あの中で泣いているのは、あれは女の声でございますぜ、大勢の者に囲まれて、女が泣いているのでございますよ」
なるほど、弁信の鋭敏な耳を待つまでもなく、人の騒ぎ罵る中で、絶え入るばかり悲鳴を揚げているのは、まさしく女の声であります。
「皆さん、それほどまでに恥をかかせないで、いっそ一思いに殺してしまって下さい、私共が悪うございました、殺されても決して皆様をお恨み申しは致しませんから、どうぞ、一思いに二人を殺してしまって下さい、それほどに恥をかかせないで、殺してしまって下さい」
ひいひいと泣いているのは女の声であったけれど、こう言って歎願しているのは男の声です。
「見せしめのためだからこうしてやるのだ、俺たちを恨んじゃならねえぞ」
これは、いきり立った大勢の中から起る声です。
弁信ならずとも、感づくことでありましょう。路傍の原っぱで、大勢の者が、男女二人を捉えて何かの制裁を加えているところです。女が、ただ泣いている、男が只管《ひたすら》にあやまっている、大勢が見せしめのためだということを聞けば、それも直ちに合点《がてん》のゆかねばならぬことで、ここに二人の男女が道ならぬ行いをして、大勢のために極端な私刑を加えられようとしているところに紛《まぎ》れもありません。
「もし、皆さん、少々お待ち下さいまし、どういうわけか存じませぬが、わたくしは通りかかった盲目《めくら》の者でございます」
お喋《しゃべ》り坊主の弁信は、どうしても持って生れたお節介《せっかい》をやめることはできないものと見えます。そこで九曜巴の提灯を振りかざして、大勢の中へ飛び込んだものです。
けれども、それは受入れらるべくもありません。この制裁は、単純なる意味の喧嘩や口論とは違って、これは土地の風儀で、重《おも》なる人が先に立ってやらないまでも、その為すことを黙許しなければならない制裁ですから、立って見ている者のうちにも、必ずやかわいそうだと思う人も、一人や二人ではあるまいけれど、それを、どうとも口出しのできない性質《たち》のものでした。たとえ、役人たちが通りかかっても、それと聞いては、見て見ぬふりをするよりほかはない種類の制裁に属するものでありました。
言うまでもなく不義をした男女です。男には女房があるかないか知れないが、女には確かに夫のある身です。その道ならぬ恋を重ねて露《あら》われた時に加えらるる制裁は、時によりところによっては、非常な惨酷な私刑となって現われて来ることがあります。二人は、その哀れむべき、憎むべき犠牲であってみれば、この場合に弁信|風情《ふぜい》が取付いたとて、詮方《せんかた》のないものであります。
「いけません、いけません、お前さん、こんなところへ来るものではありません」
温和《おとな》しい年寄株の者が、弁信を抑えました。
「ですけれども、かわいそうでございます、大勢して二人の者をお苛《いじ》めなさるのはかわいそうでございますから、なんとかして上げたいものでございます、当人があの通り、わたしどもが悪いから殺して下さいと、あやまっているではございませんか、あやまっている者を殺したって仕方がないではございませんか」
弁信は提灯を振りかざしながら、しきりにその人に縋《すが》りついて、もがきました。
「お前さんにはわからない、ああしてやらなければ、みんなのためにならないのです、だから誰もお詫《わ》びをしてやろうというものは一人もないのだ、それでいいのだから、引込んでおいでなさい」
そう言って温厚なのは離れて弁信をなだめているが、血気なのは男女を取って押えて、その見せしめのためというはずかしめを与えんとしていますが、盲目である弁信には、その振舞がわかりません。しかしながら、暗い中の一方には焚火がしてあって、その明りで見ると、光景は狼藉《ろうぜき》にして酸鼻を極めたものと言うべきです。
男女二人をこの原まで誘《おび》き出して来て、泣いて拒《こば》むのをむりやりに、一糸もつけぬ素裸《すはだか》に剥《む》いてしまったものか、これから剥こうとするものかして、揉み合っているところです。遠く囲んでいる見物の者は、息を凝《こ》らしてその体《てい》をながめて一語を出す者もありません。
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