、言葉が途切れると急に撥《は》ね返って、
「お喋《しゃべ》り坊主だなあ貴様は。聞かれもしないことまで、よくツベコベと喋るお喋り坊主だ。音がどうあろうと、尺八が鳴ろうと鳴るまいとこっちの知ったことかい、貴様をスポーンとこの井戸の中へ抛《ほう》り込んだら、それこそいい音がするだろう、人間界から天上界とやらへ舞い上ったものを、スポーンと井戸の中の地獄へ逆落《さかおと》しにかけると、それで三界をめぐり歩いたことになる、まあ、この井戸の中へ入れ」
神尾主膳はこう言って、またこの盲法師《めくらほうし》の首の根を押えて吊《つる》し上げようとします。酒乱とは言いながら、ほんとうにこの盲法師を井戸の中へ投げ込むつもりと見えます。
「あ、ほんとうに、わたくしを井戸の中へ投げ込んでおしまいなさるのですか、御冗談に、わたくしを嚇《おどか》してごらんになるのじゃございませんか」
盲法師はいまさら慄《ふる》え上ったようです。
「知れたことよ、貴様ぐらいの小坊主がちょうど投込みごろの小坊主だ、スポーンと投げ込んでみたい、古井戸や坊主飛び込む水の音、スポーン」
神尾主膳は悪謔《あくぎゃく》を弄《ろう》しながら盲法師を抱き上げたものらしい。この時に盲法師は悲鳴を揚げました、
「そりゃ、あんまりお情けないことでございます、お屋敷うちへ足を入れましたのは、いかにも、わたくしが悪いのでございます、お叱りを受けましても、お仕置を受けましても、お恨みには思いませんが、井戸の中へ投げ込みなさるのは、あんまりヒドウございます、それほどの罪ではございません、存じませんことでありますし、何を言いましても、眼が見えないんでございますから、ついつい、こんなことになりました、どうか、お助け下さいまし、井戸へ投げ込むことだけは、おゆるし下さいまし」
盲法師は必死になって神尾の毒手から免れようとして、井戸桁《いどげた》にとりついているもののようです。盲法師とは言いながら死力を出して争うてみると、神尾も無雑作《むぞうさ》には投げ込むことができないと見えます。しかし、こうなってみると、神尾の悪癖はいよいよ嵩《こう》じてくるばかりで、いくら盲法師が事情を訴えても、悲鳴を揚げても、それでは許してやるという気づかいはない。それのみならず、彼が悲鳴を揚げてもがけばもがくほど、かえって神尾の残忍性を煽《あお》るようなものであります。幸内を虐殺したのも、安綱の刀が欲しいとはいうものの、一つはこの残忍性がしからしめたものであります。井戸桁に取付いている盲法師の弁信は、それとは知らず、声を嗄《か》らして悲鳴を揚げました、
「人は死んでも思いというものが残ります、わたくしだけではございません、あなた様に祟《たた》りが出来ます、わたくしを井戸へハメると、あなた様が地獄に落ちますぞ」
もとより、斯様《かよう》な警告に怖れる神尾ではありません。遮二無二、弁信を引捉えて井戸へ投げ込もうと焦《あせ》ります。弁信は、そうはさせじと死力を出して相争うこと前の如くであるが、結局、盲法師は神尾の敵ではありません。ついに井戸桁にしがみ[#「しがみ」に傍点]ついた両の手を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《も》ぎ離されてしまいました。得たりと、神尾は両の手で抱きすくめて、弁信を浚《さら》い上げました。
「あ、誰か助けて下さい、盲法師の弁信を生きながら井戸の中へ投げ込んでしまいます、弁信はそれほどの罪をつくった者ではございません、このお方が無慈悲でございます、このお方は非道でございます、誰か助けて下さる方はありませんか、一生のお願いでございます、後生《ごしょう》のお頼みでございます」
ほとんど断末魔の叫びに等しいこの声が、土蔵の中にいるお銀様をはじめ、寝ている竜之助の耳を驚かさないわけにはゆきません。
「あなた、あれをお聞きになりましたか」
「ああ、聞いている」
竜之助は辛《かろ》うじて答えましたけれども、起き上ってその急に赴こうとする気色《けしき》はありません。かえってお銀様が立ち上りました。
神尾の残忍と兇暴とを知りつくしているお銀様は、この場合に、自分の力でどうすることのできないのを知らない道理はないはずであるのに、それでもじっとはしておられなくなったものと見えます。
今、お銀様が立ち上った足許に触れたのが一管の尺八であります。今までは忘れていました。
「ああ、外の盲法師とやらが、尺八を吹いておいでになったというのは、あなたのことでございましたね、それなら、あなた、助けに行って上げて下さい、あなたの尺八の音に聞き惚れて、あとを慕って来たのだと言っているではございませんか」
お銀様は尺八を片手に持って、再び竜之助を動かしました。この時、外では盲法師の悲鳴が三たび響き出しました、
「わたくしには、ど
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