なっていました。開いたなりの傘をそこへ抛り出して、勝手にしやがれという態度で、跛足《びっこ》の足を引きずって、雨の中をさっさと駈け出してしまいます。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は、いよいよテレたもので、苦笑いが止まらず、ぜひに及ばない面《かお》をして、橋の上でグルグル廻っている番傘を片手で取押えて肩にかけ、米友の走り去った方面を見送っていましたが、やがて、あきらめて、橋を渡って代地あたりの闇に消えてしまいました。この時分のこと、例の船宿の二階で、書きものをしながら、お角の来るのを待っていた駒井甚三郎は、約束の時間に至ってもお角の姿が見えないから、なお暫く待っていたけれども、音沙汰がありません。そこで、書きものを始末をして立ち上ると、緞子《どんす》の馬乗袴《うまのりばかま》を穿き、筒袖の羅紗《らしゃ》の羽織を引っかけ、大小を引寄せて、壁にかけてあった大塗笠《おおぬりがさ》を取卸しました。これからいずれへか出かけて行くものと見えます。出かける前に、お角に会っておきたい用件があるのでしょう、もしやと再び机の前に坐り、火鉢の上に手をかざして、更に消息を待っているもののようでしたが、お角の姿は見えないし、ことわりの使もやって来ないから、もうあきらめたものと見えて、大小を取って手挟《たばさ》みました。駒井甚三郎は、近々《ちかぢか》に房州へ帰らなければならぬ。このほど江戸へ上って来たのは、洲崎《すのさき》の海岸で船を造らんがために、その費用と、材料と、大工とを求めんがために、来たものであることは申すまでもありません。お角も茂太郎も、それと一緒には遣《や》って来たものの、駒井にとっては、それは偶然の道連れに過ぎないが、お角や茂太郎にとっては、駒井甚三郎は再生の恩人であります。駒井の役に立つことならば、何を置いてもつとめなければならないし、もし甚三郎が急に立つものとすれば、やはり何を置いても見送らなければならぬはずです。

         十

 机竜之助は、あの晩から再び弥勒寺《みろくじ》の長屋へは帰りませんでした。染井の化物屋敷へも姿を見せた形跡はありません。練塀小路《ねりべいこうじ》の湯屋を出たのはたしかに、その人であったに相違ないけれど、早駕籠《はやかご》の行先はわかりません。
 けれども、天にかくれようはずもなし、地にくぐろう術《すべ》もないから、日ならずどこかへ
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