威勢よく駈けて通る。
なんにしても、夥《おびただ》しい急ぎ方だと思いました。
「その駕籠はどこへ行くのだ」
尋ねてみたけれど、駕籠屋は振返っても見ません。
しかしながら、どうも見たような駕籠である。竜之助は駕籠に引添うて走りはじめました。まもなく駕籠は或る家の軒下へ立ちました。そこは、ちょっとした宿場|外《はず》れの、木賃宿《きちんやど》とも思われるほどの宿屋の軒下であります。
これも見たことのあるような行燈《あんどん》がかかっている。筆太に「若葉屋」と記して、側面には二行に「千客万来」と認《したた》めてあるのを明らかに読むことができるのであります。
駕籠は、その掛行燈の下に据《す》えつけられると共に、駕籠屋共は、いずれへ行ってしまったか、影も形も見えません。
竜之助はぜひなく、その宿屋の雨戸をハタハタと叩きました。行燈は、まだまばゆいほどに点《つ》けておくのに、雨戸は、もう一寸の隙間もなく締めきって、叩いてみても、返事もありません。
「お連れさんは?」
当惑して立ちつくしていることやや暫く、すると中から声がありました。
「連れは女だ」
と竜之助は答えました。
「どうぞ、お通り下さいませ、お待ち申しておりました」
雨戸の枢《くるる》を外すのも、やはり女の声でありました。
そこで、やれ一安心という気になって、戸の前に置き据えられた駕籠を振返って見ると、そこにはありません。
「オホホ、もう先廻りをしてここにお待ち申しておりました」
戸をあけて微笑《ほほえ》んでいる女の面《おもて》が、見覚えのある面《かお》であります。
「おお、お前はいつのまに――」
さすがの竜之助も、あっけに取られて、その女の面をながめました。まさしく見覚えのある女には違いないけれども、さて、誰を誰と言っていいかわかりません。
「ずいぶん長いことお待ち致しました、もうおいでになるだろう、なるだろうと思いまして、こうしてお仕事をしてお待ち申していましたけれど、いくらお待ち申してもおいでがありませんから、戸を締めました、それでももしやと気にかかるものでございますから、ああして行燈だけは、夜明し点《つ》けておくことに致しました」
何者とも見当のつかない女は、こう言いながら、懐《なつか》しそうに竜之助の手を取って、広い座敷へ案内しました。
その座敷はかなり広いけれども、なんとなく陰気な
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