も御多分に洩れず、冷やかに突き放しました。
「お前のお父さんを連れて来て助けてもらえ」
女の子は頭を振りました。
「お父さんは駄目です、お父さんは助けてくれません、お父さんが助けてくれないだけならいいけれど、そのお父さんが先に立って、ああして母ちゃんを苛《いじ》めているのですもの」
「エエ、お前のお父さんが先に立って?」
「ええ、お父さんだって、そんなに母ちゃんが憎いのじゃないでしょうけれど、ああして、先に立って、母ちゃんのお仕置《しおき》をしなけりゃならないんですって。だから誰だって、母ちゃんを助けてくれる人はありません。小父さん、どうぞ、頼みます、もう母ちゃんに悪いことをさせませんから、今日は、これで許して上げてくださいまし、どうぞ、頼みます、小父さん」
こう言って女の子が、杖とも柱とも竜之助一人に縋《すが》りつく時に、一方盲法師の弁信は、いよいよ群集の中へ深入りしてしまいました。
「皆さん、人の罪を責めるのは結構なことでございますけれども、それよりも結構なのは、人の罪をゆるして上げることでございます、責められて恨む者はございましても、ゆるされて有難いと思わぬものはございませぬ、どなたも人間でございますから、あやまちの無いという限りはございませぬ、人のあやまちは七度《ななたび》ゆるして上げてくださいまし、ゆるし難いあやまちでも、許して上げるのが功徳《くどく》でございます、悪木《あくぼく》の梢にも情けの露は宿ると申しまして、許し難いものを許して上げるほど功徳が大きいのでございます、どうか、皆様、ここで神様のお心になって下さいまし、仏様のお心になって下さいまし」
こちらから見ていると、弁信の差し上げている提灯《ちょうちん》だけが人波に揉まれて左右に揺れます。ちょうど担《かつ》ぎ上げられた樽御輿《たるみこし》が、担がれたままで自由になっているように、真闇《まっくら》な人波のうごめく中で提灯のみが宙に浮いているようです。
その時に、群集の焦点から、また一つの騒ぎが起りました。それと共に、大波の崩れたように人だかりが四方へ溢れ出しました。
「御亭主殿が気狂《きちが》いになった、御亭主殿が気狂いになって脇差を抜いて荒《あば》れ出した、だれかれの見さかいなく人を斬りはじめた、危ない、逃げろ!」
原っぱに集まった幾百の人波が、真暗な中を右往左往に逃げ惑います。
なる
前へ
次へ
全111ページ中96ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング