こで弁信は、三味線をさしおいて、琵琶の修繕にとりかかりました。
「いかがでございます、先生、明晩あたりは町へお出かけになってごらんになりませんか、お伴《とも》を致しましょう。あなた様が短笛を鳴らしてお出かけになりますならば、私が……左様、琵琶はまだ出来上りませんし、三味線では、うつりが悪うございますから、私も、やはり短笛を吹いてお伴を致しましょう。明晩はお天気もよろしうございまして、それにお月夜でございます。時々は、外へおいでになることがおたがいさまに保養でございます。月に浮れて、お江戸の市中を、尺八の音を流して歩くのは、風流ではございませんか」
 弁信がこう言って相談をかけると、
「出かけてもいいな」
というのは竜之助の返事でありました。
 けれどもその明晩は、そのことが実行されませんで、それから三日目の晩、この二人の盲目が相連れて、染井の屋敷をふらりと出かけました。竜之助は、そのころ市中を歩く虚無僧《こむそう》の姿をして、身には一剣をも帯びておりません。弁信は例のころも[#「ころも」に傍点]を着て、法然頭《ほうねんあたま》を網代笠《あじろがさ》で隠しておりました。二人ともに杖は持たず、同じような尺八を携えて出かけました。土蔵住居の屈託から、こうして、かりそめの風流を試みるつもりであるが、それにしてもあいにく、今宵はまだ月がありません。
 お銀様は二人の出歩くことを、あえて異議を唱えないのみならず、なにくれと仕度をしてやって送り出したものです。それは、弁信が附いて行くことが何となしに心恃《こころだの》みになるし、それと、今宵に限って竜之助が、身に寸鉄を帯びずして出て行くということに安心したものと見えます。

         十四

 ちょうど、その晩のこと、甲州街道を新宿の追分まで上って来た一組の荷馬があります。五頭の馬に、それぞれ荷物を積んで馬方が附添い、最後の一頭のから尻には、三度笠の合羽《かっぱ》の宰領《さいりょう》が乗っていました。その宰領の背恰好《せかっこう》が、どうやら山崎譲に似ているのも道理、声を聞けば、やっぱり山崎譲です。
「おい、久造、おれは、ちょっと思い出したことがあるから、これから内藤の屋敷内へ寄って行かにゃならねえ、お前、御苦労だが、代りに宰領をやってくれ、前の四頭《よっつ》は拘《かま》わねえから新宿の問屋場へ抛《ほう》り込んで、このから
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