っている時の声であります。その言うところを察すると、何か怪しの者を捉まえて、それを井戸側まで拉《らっ》し来《きた》ったものらしくあります。お銀様は針の手をとどめて耳を傾けると、
「いいえ、決してそういうわけではございませぬ、わたくしは怪しい者ではございませぬ、安房の国、清澄山から出て参りました弁信と申す盲目《めくら》でございます、この通り眼が見えないものでございます、清澄山からこのお江戸へ出て参りまして、ほかに稼業《かぎょう》もございませんから、少しばかり習い覚えました平家琵琶を語って、門附《かどづ》けを致しておりますのでございます。ごらん下さい、この通り袋に入れて背負っておりますのが、その平家琵琶でございます。ほんとうに拙《つたな》い業《わざ》でございますから、収入《みいり》も至って少のうございます、それでも皆様のお情けで、どうやらその日の暮しに差支えないだけは御報謝をいただきますんでございます。ただいまは本所の報恩寺長屋に御厄介になっているんでございます、長屋でも皆様が、わたくしが眼が不自由なものでございますから、可愛がって、いろいろと世話をして下さいますんでございます」
こう言って申しわけをしているのは、まだ年の若い、なるほど、名乗っている通りの盲法師であるらしい声であります。ところがこの神妙な申しわけは、頭からケシ飛ばされてしまいました。
「黙れ、黙れ、嘘を言うな、貴様はニセ盲目《めくら》だ、誰かに頼まれてこの屋敷の様子を探りに来たものに相違ない、琵琶であれ、三味線であれ、門附けをして歩くほどの者が、この淋しい染井あたりへ、うろついてどうなるのじゃ、本所からここまで、どう間違っても盲目の独《ひと》り歩きができる道ではない、真直ぐに白状せねば、この井戸の中へ生きながら叩き込むがどうじゃ」
これは主膳の声ではなく、福村の声のようです。彼等はこの盲法師を、どこまでも偽物《にせもの》と信じているらしい。何者かの頼みを受けて、この化物屋敷の内状を探りに来たものと信じているらしい。
なるほど、そう疑えば疑われる余地がないではありません。門附けをして歩くと言いながら、田舎《いなか》同様なこの染井あたりへやって来るというのもわからない。また盲目の身で、本所からここまで流して来たというのも充分に不審の価値はあるのであります。それからまたこの化物屋敷の内状というものが、実
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