、思わず息がはずむと、
「ところで、その傾城を身請けして、いったい当人はどうするつもりじゃ、宿の女房にでも据えようとするのか、ただしは囲い者にでもしておこうというのか……まあいいわ、その辺はあらかじめ聞いておくべき必要はない。しかし拙者が肩を入れるとしてもだ、世間の金持の遊冶郎《ゆうやろう》のするように、大金を抛《ほう》り出して、馬鹿を尽した引かせ方はせぬつもりじゃ。少々|悪辣《あくらつ》な手段をめぐらすつもりだが、結局は理窟に合って行くやり方をして見せる。つまり正面から掛け合っては、埒《らち》が明かない上に金がかかるから、それで悪辣の手段を講じておいて善後策を上手にやる。その悪辣の手段というのは、女を盗み出すことじゃ、女を盗み出しておいて、親許《おやもと》を説き落してそれから談判させるのだ。女を盗み出すことは拙者に任せるがよい、親許を説き落すことも、拙者に任せるがよい、それがために要する多少の金銭も、拙者が君に免じて立替えてもよろしいが、宇津木君、その交換条件という意味ではないが、君に一つ頼みたいことがある」
と言いました。なるほど、やりそうなことである。南条ならば部下の二三の浪士を差向わして、女を盗み出させるくらいは朝飯前である。そうしておいて威力と和解と両方面から事を纏《まと》めることも、この男としては容易《たやす》い仕事であると思いました。それで兵馬は内心、非常に喜ばしく思って、一も二もなく南条に信頼することに決めました。況《いわ》んや南条から交換条件の意味であってもなくても、頼むと言われて、それを躊躇する気なぞは更にありません。その時に南条がおもむろに言いました、
「君に頼みたいことというのは、拙者共の仕事をするのにとかく邪魔になる奴が一人ある、水戸の浪人で山崎譲といって、鹿取流の棒にかけてはなかなかの達者だが、君の力でそいつをひとつ片づけてくれまいか」
 意外にも南条の頼みというのは、宇津木兵馬の力によって、山崎譲を暗殺させようとのことであります。

 その翌日の夕方になって、兵馬が、ついまたふらふらと迷うて行く足どりは、吉原の方面であります。
 昨夜もここで夜を明かして、今朝帰ったばかりであるのに、またしてもこの門をくぐらなければならないように仕向けたのは誰が悪い。
 兵馬が行った時に東雲《しののめ》にはほかの客があって、兵馬は暫く待たせられました。

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