ました。一度、お訪ね申し上げて、あの時のお礼を申し上げたいと思わないではありませんでしたが、何を言うにもこの通りの賤《いや》しい女、恐れ多い気が先に立つばかりで、ついつい御無沙汰を致してしまいました」
「それを承ってみると、縁というものは不思議なものじゃ。拙者も今は、こんなふうに変っているが、そなたはまたどうして、あのような目に遭われた」
「それをお話し申し上げると長いのでございますが、この房州の芳浜というところまで、人を雇いに参ったのでございます、その途中、舟が暴風雨《あらし》に遭いまして、わたしが、いちばんヒドい目に遭わされるところでしたが、そのヒドい目に遭わされようとしたわたくしだけが助かって、こうして殿様のお世話になっているのかと思うと、ほんとに何かのお引合せのように思われてなりません」
「しかし、よく助かったものじゃ、拙者も自分ながら不思議に堪えられない」
「今朝になりまして、清吉さんから、わたくしをお助け下された委細のお話をお聞きしまして、わたしは、ほんとうに神様に守られているんじゃないかと、勿体《もったい》なくて、涙がこぼれてしまいました」
「ところで、その清吉が見えないが……何とかいうて出て行きましたか」
「いいえ、お正午《ひる》少し前までここにお見えになりましたが、それから、わたくしは今まで眠っておりました故、何も存じませぬ」
「はて……」
 甚三郎は、いよいよ清吉のことが不安になってきました。
 そうして、次の一本の蝋燭に火をうつして、それをまた提灯に入れ、
「淋しかろうが、そなたは一人で、暫らくここに留守している気で待っていてくれるように。拙者はこれから清吉を捜《さが》して参る」
「まあ、ほんとにあのお方はどちらへおいでになったのでしょう……いえ、もうわたしも起きられます、どうぞ、お心置きなく。どんなところにおりましても、淋しいなんぞと決して思いは致しません。歩けさえ致せば、わたしもお伴《とも》を致すのですけれど」
「ちょっと、その辺の様子を見て、ことによると碇場《いかりば》まで行って来る、その間に、もし清吉が帰ったならば、そのように申してくれるよう」
「畏《かしこ》まりました」
 甚三郎は病人のお角にあとを頼んで、提灯をつけて外へ立ち出でました。
 駒井甚三郎が出て行ったあとのお角には、夢のように思われてなりません。
 甲州城の勤番支配として、隆々《りゅうりゅう》たる威勢で乗り込んだ駒井能登守その人を、こんな方角ちがいの辺鄙《へんぴ》なところで、こうしてお目にかかろうということは、夢に夢見るようなものです。
 あの凜々《りり》しい、水の垂《したた》るような若い殿様ぶりが、今は頭の髪から着物に至るまで、まるで打って変って異人のような姿になり、その上に昔は、仮りにも一国一城を預かるほどの格式であったが、今は、見るところ、あの清吉という男を、たった一人召使っているだけであるらしい。その一人の男の姿が見えなくなると、御自分が提灯をさげて探しに出て行かねばならないような、今の御有様は、思いやると、おいとしいような心持に堪えられない。
 このお住居《すまい》とても、決して三千石の殿様の御別荘とは受取れない。ほんの仮小屋のようなものとしかお見受け申すことはできない。僅かの間に、どうしてこうも落魄《おちぶ》れなさったのだろう。お角は、そのことを考えると、ふいに頭に浮んで来たのは、同じく甲州城内に重き役目をつとめていた神尾主膳のことであります。
 駒井能登守様が、甲州城をお引上げになると、まもなく神尾の殿様も江戸へお引取りになった。神尾へはその前後に亘ってお角は始終出入りをしている。それで酔った時などに甲州話が出ると、神尾主膳は、きっと駒井能登守の悪口《あっこう》をする。その悪口が、いかにも意地悪く、ざま[#「ざま」に傍点]を見ろと言わぬばかりなので、お角はそれを聞くと、なんとなくイヤになるのでした。
 神尾主膳については、お角とても決して善良な人だとは信じていないけれど、あれでなかなか話せば話のわかる人だと思っている。あの人を箸にも棒にもかからぬように言うのは、それは、あの人を噛締《かみし》めていないからで、その悪いところだけを避けて、良いところを附き合えば、ずいぶん力になる人であると思っている。けれども、その神尾が、ひとたび駒井能登守の噂《うわさ》になると、酔っているとは言いながら、口を極めて悪く言うことが、お角には不服でもあり、不快でもあるのであります。
 何となれば、駒木野の関所以来、お角の眼にうつっている駒井能登守は、男ぶりといい、その情けある仕方といい、若くして人に長たるの器量といい、芝居の中で見る人のように見えるのであります。どこといって一点でも、難を入れるところのない殿様ぶりに見えるのであります。その学問や見識のことは、お角はまるきり見当がつかないけれども、あんな男らしい男ぶりの殿御を、前にも後にも見たことはないとまで思っているのでありました。
 それを神尾主膳が、頭ごなしにするからその時は不服で、つい抗弁をしてみる気になると、神尾はいやみな笑い方をしながら、
「お前も存外|人形食《にんぎょうく》いだ、あんなのが、それほどお気に召すようでは甘いものだ」
なんぞと言われると、お角もムキになって、
「人形食い結構、あんな方に好かれたら、ほんとにわたしは、三年連れ添う御亭主を打棄《うっちゃ》っても行きますわ、けれどもお気の毒さま、あちら様で、わたしなんぞは眼中にないのですからね」
というようなことを言ったこともありました。
 それは冗談《じょうだん》にしても、神尾と駒井との間に、何かの蟠《わだかま》りのあることは疾《と》うに見て取らないわけはありません。その後、神尾へは相変らず親しく出入りしているに拘らず、能登守の方は、ほとんど消息も打絶えて、滅多に思い出すことさえなかったのが、今日、このところで偶然、こんなにお世話になることは、やっぱり何かのお引合せと見ないわけにはゆかないのであります。
 お角は、それを思うと、なんだか嬉しいような心持になって、清吉の見えなくなったことよりは、早く甚三郎が帰って来てくれることのみが待たれるのであります。このままでお帰りを迎えては恐れ多いというような心から、床を起き直って、乱れた髪などを撫で上げました。二時間ほどして駒井甚三郎はかえって来ましたから、お角は、
「おわかりになりましたか」
「わからん」
 甚三郎は、安からぬ色を深くしていました。
「まあ、どうなすったのでしょう」
「そなたを得たことも不思議だが、清吉を失ったことも不思議だ」
 甚三郎がこう言った言葉のうちには、多少の絶望が含まれているようです。
「海の方へでも行ったのでしょうか」
「どのみち、海へ行ったのであろうけれど……」
「お怪我がなければようござんすね、この辺の海は荒いそうですから」
「今宵は、もう諦《あきら》めて、明朝早く探しに行こう。それから、夜中《やちゅう》何ぞ急用でも起った時は、その柱の下にある小さなボタンを、三ツばかり押してみるがよい、それが拙者の枕許まで響いて来る。拙者の方でも、何か用事の起った時は、同じような仕掛で、この丸いものが鳴り出すようにしてあるから」
 これはおたがいの部屋に通ずる電気仕掛のベルでありました。駒井自身の工夫と設計にかかるものであることは申すまでもありますまい。これを押せばむこうのお居間の鈴が鳴るということが、お角にはなんだか魔術のように思われます。けれども、甚三郎はそれだけの注意を与えたきりで、この小屋とは棟を別にしている番所の内の、己《おの》れの居間へ帰って行きました。
 もし明朝になっても、明日になっても、清吉の行方《ゆくえ》がわからなかったらどうでしょう。またもし、お角の身体がほんとうに回復したのならよいけれど、これが一時の元気であって、明日からまたぶり[#「ぶり」に傍点]返して枕が上らないようになったらどうでしょう。
 いったん、捨てられた洲崎の遠見の番所は、まるで孤島の中にあるようなものです。前方は海で、陸続きは近寄る人もありません。
 駒井甚三郎と、清吉とは、特にここをえらんで、たった二人きりで無人島同様の生活を好んで、ここに送っていたものと見えます。それがその共同生活の唯一人を失ったとすれば、あとに残るのは駒井甚三郎一人です。更にまた一人を加えたところで、その一人が枕も上らぬ病人であるなれば、その看病人も駒井甚三郎でなければなりません。
 三千石の殿様に、自分の看病をさせることが女冥利《おんなみょうり》に尽きると思うなれば、お角は、どうしても明日から起きて働かねばならないのです。
 その翌日、早朝から駒井甚三郎は、またもこの番所を立ち出でました。けれども、お正午《ひる》少し前に帰って来た時には、出て行った時と同じことに、たった一人でした。ついにその尋ぬる人を探し当てることができないで、悄然《しょうぜん》として番所の門を潜りました。しかし、それと打って変ったように元気になったのはお角です。甚三郎が帰って来た時には、もう起き上って、甲斐甲斐しく働いていました。多分、海へ張って置いた網を引き出しに行って、浪に捲き込まれて行方不明になったものだろうと甚三郎は推察して、それをお角に話し、一方に浪に打上げられた人を救い、一方に浪に捲かれて人を失うのは、偶然とは言いながら、この辺の海は魔物のようであるということを、つくづく歎息しました。
 お角は、それを聞いて気の毒がって泣きました。
 その日から、ここにまた変った二人の生活が始まりました。二人というその一人の主は、変らぬ駒井甚三郎ですけれども、それを助けるは男でなくて女です。
「というても、そなたは江戸へ帰らねばならぬ人」
 甚三郎に言われた時、
「いいえ、もう帰らなくってもよろしうございますよ」
 お角は、きっぱりとこう言いました。ナゼこんなに、きっぱりと言い得るだろうかということが不思議でした。何かの当りがあればこそ、ああして房州へ出て来たのだから、その当りは途中の災難で外れたにしても、この女が江戸へ帰らなくてよいという理由はなかりそうです。江戸でなければこの女の仕事はありそうにもなし、またとにもかくにも、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百といったような男を江戸には残して来てあるはずです。
 けれども、駒井甚三郎は、それをよいとも悪いとも言いませんでした。
 お角の料理してくれた昼飯を食べてから、また海岸へ出かけて、どこで何をしていたのか、夕方になって帰って来ました。
 そうして番小屋の炉の傍で、お角の給仕で夕飯を食べながら話をしました。清吉のことは、もう諦めてしまっているようです。その話のうちに、甲州話がありました。けれども、その甲州話も、政治向のことや勤番諸士の噂などは、おくびにも出ないで、甲州では魚を食べられないとか、富士の山がよく見えるとか、甲斐絹《かいき》が安く買えるとか、そんな他愛のないことばかりでしたからお角は、この殿様がどうしてかの立派な御身分から今のように、おなりあそばしたかということを尋ねてみる隙《すき》がありませんでした。
 それから、お角の身の上を徐《おもむ》ろに甚三郎が詮索《せんさく》を始めました。詮索というと角が立つけれど、実はそれからそれと穏かに尋ねられるので、お角も、つい繕《つくろ》い切れなくなって、女軽業《おんなかるわざ》の一座を引連れて、甲府の一蓮寺で興行したことから、このごろ再び両国で旗上げをするために、実はこの房州の芳浜というところに珍しい子供がいるそうだから、それを買いに来て、途中この災難ということを、すっかりと甚三郎に打明けてしまいました。打明けねばならぬように話しかけられてしまって、打明けてから、つい悔ゆるような心持になりましたけれど、甚三郎は一向、そんなことを念頭に置かぬらしく、
「それは面白い仕事であろう、拙者はまだ軽業というものを見たことがない」
「お恥かしうございます」
 さすがのお角も、なんだか赤くなるように思いました。
 話が済むと甚三郎は
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