でました。
「そう改まって給仕には及ばん、そなたもここで一緒に」
 甚三郎は、強《し》いてお角にすすめて、一緒に夕餐《ゆうさん》の膳に向いながら、
「人間の一芸一能は貴《たっと》い、そなたの仕立てた芸人たちの業を、そのうち一度見せてもらいたいものじゃ」
 真顔《まがお》になって、こんなことを言い出しましたから、お角もおかしくなって、
「ねえ……殿様」
 思わず膝を進ませると、
「殿様と言っちゃいかん、昔は殿様の端くれであったかも知れんが、今は船頭だ」
「では、何と申し上げたらよろしうございましょう」
「駒井とでも、甚三郎とでも勝手に」
「駒井様、駒井の殿様……なんだかきまりが悪うございますね。駒井様、そんなことを申し上げると口が曲りそうですけれど、わたしたちには、どうしても、あなた様の御了見がわかりません」
「わからんことはあるまい、浪人して詮方《せんかた》なく、こうしているまでのことじゃわい」
「どうして、あなた様ほどのお方が、これほどまでに落魄《おちぶ》れあそばしたのでございましょう」
「自分が悪いからだ」
「殿様……また殿様と申し上げました、あなた様のようなお方に、お悪いことがお
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