、さっさと立って自分の居間へ行ってしまいます。そうして夜おそくまで何かの研究に耽《ふけ》るらしくありましたが、お角は、ひとり取残されたように炉辺に坐っておりました。前に言ったように、この洲崎の遠見の番所は、離れ島のような地位に置かれてあります。前は海で、陸地つづきは、ほとんど交通を断たれているのであります。
お角も、かなりおそくまで、炉の傍に、ぼんやりとして燈火を見つめたり、火箸を取って灰へ文字を書いたりしていましたが、
「わたしゃ、あの殿様はわからない」
と自棄《やけ》のようなことを言って、帯を解いて男の着物を寝衣《ねまき》にして、蒲団《ふとん》をかぶって寝てしまいました。
けれども、その翌朝は、早く起きて、水を汲んだり、御飯を炊いたり、掃除をしたり、いっぱしの女房気取りで、気持のよいほどの働きぶりであります。
朝の食事が終ると、甚三郎はまた海岸へ出て行きました。正午《ひる》時分にいったん帰って、居間へ閉籠《とじこも》ったが、しばらくすると、またどこへか出て行きました。そうして夕方になって戻って来ました。
夕飯の時は、またお角を相手にして、軽快に四方山《よもやま》の話を語り出
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