こうなる前に心して結んでおいたと見えて、その帯一つが着物をひきとめて、女というものの総てを保護しているもののようです。
 駒井甚三郎は腰を屈《かが》めて、女の胸のあたりに手を入れました。
「どうでしょう、まだ生き返る見込みがあるんでございましょうか」
 清吉は気を揉んでいます。
「絶望というほどじゃない、生き返るとすれば不思議だなあ」
 駒井甚三郎は、まだ女の乳の下に手を置いて、小首を傾《かし》げています。
「不思議ですねえ」
 清吉も同じように、首を傾げると、
「平沙の浦の海は、全くいたずら[#「いたずら」に傍点]者だ」
 駒井甚三郎は何の意味か、こう言って微笑しました。
「エ、いたずら[#「いたずら」に傍点]者ですか」
 清吉は、何の意味だがわからないなりに、怪訝《けげん》な面《かお》をすると、
「うむ、平沙の浦の波はいたずら[#「いたずら」に傍点]者とは聞いていたが、これはまたいっそう皮肉であるらしい」
「皮肉ですかね」
 清吉には、まだよく呑込めません。
「そうだとも、あの暴風雨の中で、波の中の一組だけが別仕立てになって、ここまで特にこの女だけを持って来て、そーっと置いて帰って
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