で傍《かたわら》にいる清吉と呼ばれた男も、あの時バッテーラの艪《ろ》を押していた男であります。二人はあの時、目的通りに外国船へ乗り込むことができなかったものと思われます。外国船へ乗り込むことができなかったものとすれば、いつのまにここへ来てなにをしているのだろう。しかし、いまはそれらを調べるよりは、遠眼鏡の眼前に横たわる人の形というものが問題です。昨夜あれほどの暴風雨であってみれば、海岸に異常のあるのはあたりまえで、それを検分するがために、甚三郎は遠見の番所から出て、わざわざ遠眼鏡をもって、この巌の上に立っているものと思わなければならないのです。
「そうですね、行ってみましょうか」
 清吉が鈍重な口調で、甚三郎の面《おもて》をうかがうと、甚三郎は遠眼鏡を外《はず》して片手に提げ、
「行こう」
「おともを致しましょう」
 そうして二人は巌の上から駆け下りました。甚三郎は王子の火薬製造所にいた時以来の散髪と洋装で、清吉もまた髷《まげ》を取払って、陣羽織のような洋服をつけています。二人とも、足につけたのは草鞋《わらじ》でも下駄でもなく、珍らしい洋式の柔らかい長靴でありました。
 二人ともこうし
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