四
それはいま砕け散った波のしぶきを多少ともにかぶったからのことで、その時に、はじめて海の風が穏かでないのみならず、天候もなんとなく険悪になっていたことを気のついた者もありました。左へ夥《おびただ》しく揺れた船は、それだけ右へ押し戻されました。立っていた人は、よろよろとして帆柱の縄に身を支えて、危なく転げ出すことを免れたものもありました。
「おい、船頭さん、大丈夫かい、なんだか天気が危なくなったぜ、風がひどく吹募《ふきつの》るじゃねえか」
船頭に向って駄目を押すものがありました。船の中にあっては船頭の一顰一笑《いっぴんいっしょう》も、乗合の人のすべての心を支配することは、いつも変りがありません。
「ナニ、大したことはござんせんがね、これが丑寅《うしとら》に変らなけりゃあ大丈夫ですよ。そんなことはありゃしませんよ。それでもこの分じゃ、ちっとばかり荒れますよ」
船頭はこう言って乗客の不安を抑えておいて、一方には水主《かこ》の方へ向って、
「やい、つか[#「つか」に傍点]せてやれ、開いちゃ悪いぜ、まき[#「まき」に傍点]り直して乗り落すようにしねえと凌《しの》ぎがよくねえや、そ
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