、そちらの方に尋ねる人があってという言い分も、なんだかお座なりのように聞えます。と言って、今日はいつぞや甲州まで、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百を追いかけて行ったような血眼《ちまなこ》でもなく、お供をつれておちつき払って構えているのは、何か相当のあたり[#「あたり」に傍点]がなければならないはずです。すでに相当のあたり[#「あたり」に傍点]があって出かける以上は、転んでも只は起きない女だから、何か一やま[#「やま」に傍点]当てて来るつもりなのでしょう。炭問屋の主人は、そこまで詮索《せんさく》してみようという気はありませんから、いつしか自分の案内知った房州話になってしまいました。
那古へ行くならば鋸山《のこぎりやま》の日本寺《にほんじ》へも参詣をするがよいとか、館山あたりへ行ってはどこの旅籠《はたご》が親切で、土地の人気はこうだというようなことを、お角に向って細かに案内をしてくれるのであります。お角がそれを有難く聞いていると、ほかの乗合までが、それぞれ口を出して、炭問屋の主人の案内の足らざるを補うものもあるし、また突込んで質問をはじめる者も出て来ました。はじめはお角と炭問屋の主人
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