それを遠慮するような女ではありません。
「まあ、ほんとにお気の毒に存じます、では、船のえんぎでございますから、あとから参りまして、女のくせにお高いところで御免を蒙《こうむ》ります。庄さん、お前もそれでは御免を蒙ってここへ坐らせていただいたらいいでしょう」
こんなわけで、座席の入れ替えが無事に済みました。お角はこの船の中で、神様から二番目の人にされてしまいました。
まもなくお角は、その隣席にいる例の深川の炭問屋の主人と好い話敵《はなしがたき》になりました。
「どちらへいらっしゃいますね」
炭問屋の主人がまずこう言って尋ねると、お角がそれに答えて、
「はい、木更津から那古《なこ》の観音様へ参詣を致し、ことによったら館山《たてやま》まで参ろうと思うんでございます」
「ごゆさんでございますかね」
「そういうわけでもございません、少しばかり尋ねたい人がありまして」
「ははあ、なるほど」
炭問屋の主人は腮《あご》を撫でて、ははあなるほどと言いましたけれども、それは別に見当をつけて言ったわけではありません。本来この女が今時分、房州あたりまでゆさんに出かけるはずの女子《おなご》でもないし、また
前へ
次へ
全206ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング