りゃそうだろう」
「もとの起りからそれを申し上げると、ずいぶん長くなりますんですが……」
 それでも老爺は、その長きを厭《いと》わずに、ずいぶん話し込んでみようと自分物の縁台に、がんりき[#「がんりき」に傍点]と向き合って腰を卸そうとした時に、麓の方から賑《にぎ》やかしい笛と太鼓の音が起ったので、その腰を折られました。
 麓から登って来るのは、越後の国から出た角兵衛獅子の一行であります。その親方が、てれんてんつくの太鼓を拍《う》ち、その後ろの若者が、ヒューヒューヒャラヒャラの笛を吹き、それを取捲いた十歳《とお》ぐらいになる角兵衛獅子が六人あります。
[#ここから2字下げ]
しちや、かたばち、
小桶《こおけ》でもてこい、
すってんてれつく庄助さん
なんばん食っても辛《から》くもねえ
[#ここで字下げ終わり]
 この思いがけない賑やかな一行の乗込みで、せっかくの話の出鼻をすっかり折られた老爺は、呆気《あっけ》に取られた面《かお》をしているところへ、早くも乗込んだ六人の角兵衛獅子が、
「角兵衛、まったったあい――」
 卍巴《まんじどもえ》とその前でひっくり返ると、てれてんつくと、ヒューヒューヒャラヒャラが、一際《ひときわ》賑やかな景気をつけました。
 ほかにお客というのはないんだから、この角兵衛獅子の見かけた旦那というのは、おれのことだろう。そこでがんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、どうしても御祝儀を気張らないわけにはゆかなくなりました。
「兄貴に負けずにしっかり[#「しっかり」に傍点]やんなよ」
と言って、がんりき[#「がんりき」に傍点]は例の左手で懐ろから財布を引き出すと、その中から掴み出した一握りを、鶏の雛に餌を撒くような手つきで、バラッと投げ散らしました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、角兵衛獅子を相手に大尽風《だいじんかぜ》を吹かしていると、妙義の町の大人も子供も、その騒ぎを聞きつけて出て来ました。この見物の半ば最中に、角兵衛獅子の登って来たのとは反対の方角の側から、同じところへ登って来た一行があります。
 この一行は角兵衛獅子のような嗚物入りの一行とは違って、よく山方《やまかた》に見ゆる強力《ごうりき》の類《たぐい》が同勢合せて五人、その五人ともに、いずれも屈強な壮漢で、向う鉢巻に太い杖をついて、背中にはかなり重味のある荷物を背負《しょ》っています。
 大尽風を吹かしていたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百が、ふとこの五人の同勢の登って来たのを見ると、
「おいおい角兵衛さん、もうそのくらいでいいよ、御苦労御苦労」
 ここへ来た五人の強力の同勢は、さあらぬ体《てい》に、この額堂下の甘酒屋へ繰込んで来ました。
 先に立った強力の一人を、よく気をつけて見れば只者ではないようです。そのはず、この男こそ、碓氷峠の陣場ケ原で一昨夕、焚火をしてなにものをか待っていた南条力でありました。すでにこの男が南条力でありとすれば、その次にいるのが五十嵐甲子雄であることは申すまでもありますまい。そのほかの三人は、あの陣場ケ原のひきつぎの時に、三方に立って遠見の役をつとめていた三人の武士。それが都合五人ともに、いつのまにか申し合せたように強力《ごうりき》姿に身をやつしています。急に、てんてこ舞するほど忙しくなったのは甘酒屋の老爺で、この五人の馬のような新しいお客様と、それから、たった今、一さし舞い済ました小さな角兵衛獅子が改めてこのたびのお客様となったのと、それにつれそう太鼓の親方と、笛の若者とに供給すべく、新しく仕込みをするやら、茶碗に拭《ぬぐ》いをかけるやら、炭を煽《あお》ぎはじめるやら、ここはお爺《とっ》さんが車輪になって八人芸をつとめる幕となりました。
 やがて五人の強力は、一杯ずつの甘酒に咽喉《のど》をうるおすと、卸《おろ》しておいためいめいの荷物を取って肩にかけ、南条力が目くばせをするとがんりき[#「がんりき」に傍点]の百が心得たもので、
「爺《とっ》さん、また帰りに寄るよ」
と言って幾らかの鳥目《ちょうもく》をそこへ投げ出して、立ち上ります。
 額堂を出たがんりき[#「がんりき」に傍点]を先登に、南条らの一行は白雲山妙義の山路へ分け入ったが、下仁田街道《しもにたかいどう》の方へ岐《わか》れるあたりからこの一行は、急速力で進みはじめました。

         十一

 がんりき[#「がんりき」に傍点]を初め南条の一行が、山へ向けてここを去ってしまい、角兵衛獅子の一座もほどなく町の方へ引返してしまい、それから小一時《こいっとき》ほどたって、同じ額堂下の甘酒屋へ、同じような風合羽を着た道中師らしい二人の男が、ついと入って来て、二人向き合って縁台に腰をかけて、
「どっこいしょ」
 杖について来た金剛杖でもない手頃の棒をわき
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