より、ずっと小柄であるのに、頭部のみがすぐれて大き過ぎるせいか、前こごみに歩いていると、身体が頭に引きずられそうで、ことにその頭が法然頭《ほうねんあたま》――といって、前丘《ぜんきゅう》は低く、後丘は高く、その間に一凹《いちおう》の谷を隔てた形は、どう見ても頭だけで歩いている人のようであります。
「え、何ですか、どなたが、わたしをお呼びになりましたか」
この頭の僧侶は急にたちどまって、四辺《あたり》を見廻しました。見廻したけれども、そのあたりには誰もおりませんでした。いないはずです、実は誰も呼んだ人は無いのだから。それにも拘《かかわ》らず、かんのせいか知らん、しきりにその異様な頭を振り立てて、聞き耳を立てていました。どうも、この人は眼よりは耳の働く人であるらしい。いや、眼が全く働かない代りに、耳が一倍働く人であるらしい。
「弁信さん」
今度は、たしかに人の声がしました。姿はやっぱり見えないけれども、それは焚火の燃え残っている四丈八尺の巨杉《おおすぎ》の幹の中程から起ったことはたしかであります。
「エ、茂《しげ》ちゃんだね」
頭の僧侶はホッと息をついて、金剛杖を立て直して、巨杉の上のあたりを打仰ぎました。
杉の枝葉と幹との間に隠れている声の主《ぬし》は誰やらわからないが、それが子供の声であることだけはよくわかります。
「弁信さん、お前また高燈籠《たかどうろう》を点《つ》けに行くんだね、近いうちに大暴風雨《おおあらし》があるから気をおつけよ」
木の上の主がこう言いました。
「エ、近いうちに大暴風雨があるって? 茂ちゃん、お前、どうしてそれがわかる」
「そりゃ、ちゃんとわかるよ」
「どうして」
「蛇がどっさり、この木の上に登っているからさ」
「エ、蛇が?」
「ああ、蛇が木へのぼるとね、そうすると近いうちに雨が降るか、風が吹くか、そうでなければ大暴風雨《おおあらし》があるんだとさ。それで、こんなにたくさん、蛇が木の上へのぼったから、きっと大暴風雨があるよ」
「いやだね、わたしゃ蛇は大嫌いさ、そんなにたくさん蛇がいるなら、茂ちゃん、早く下りておいでな」
「いけないよ、弁信さん、おいらはその蛇が大好きなんだから、それを捉《つか》まえようと思って、ここへ上って来たんだよ、まだ三つしか捉まえないの」
「エ、三つ! お前、そんなに蛇を捉まえてどうするの、食いつかれたら、どうするの、気味が悪いじゃないか、気味が悪いじゃないか、およしよ、およしよ」
「三つ捉まえて懐ろに入れてるんだよ、食いつきゃしないさ、慣れてるから食いつくものか、あたいの懐ろの中で、いい心持に眠っていらあ」
「ああいやだ、聞いてもぞっとする」
盲法師《めくらほうし》は木の上を見上げながら、ぞっとして立ち竦《すく》みました。
「だっていいだろう、なにも、あたいは蛇を苛《いじ》めたり殺したりするために、蛇を捉まえるんじゃないからね」
木の上では申しわけのような返事です。
「それにしたってお前、蛇なんぞ……早く下りておいで」
「もう二つばかり捉まえてから下りるから、弁信さん、お前、あたいにかまわずに燈籠を点《つ》けに行っておいで」
木の上の悪太郎は下りようともしないから、盲法師は呆《あき》れた面《かお》で金剛杖をつき直しました。
二
浪切不動の丘の上に立つ高燈籠の下まで来た盲法師は、金剛杖を高燈籠の腰板へ立てかけて、左の手首にかけた合鍵を深ると、潜《くぐ》り戸《ど》がガラガラとあきました。杖は外に置いて、釣燈籠だけは大事そうに抱えて中へ入った盲法師、光明真言《こうみょうしんごん》の唱えのみが朗々として外に響きます。
[#ここから2字下げ]
※[#「口+奄」、第3水準1−15−6]阿謨迦毘盧遮那摩訶菩怛羅摩尼鉢曇摩忸婆羅波羅波利多耶※[#「口+云」、第3水準1−14−87]《おんあもきゃびろしゃのまかぼだらまにはんどまじんばらはらはりたやうん》――
[#ここで字下げ終わり]
コトコトと梯子段を登る音が止んで暫らくすると、六角に連子《れんじ》をはめた高燈籠の心《しん》に、紅々《あかあか》と燈火が燃え上りました。光明真言の唱えは、それと共に一層鮮やかで冴《さ》えて響き渡ります。
その余韻《よいん》が次第次第に下へおりて来た時分に、前の潜り戸のところへ姿を現わした盲法師の手には、前と同じような青銅《からかね》の釣燈籠が大事に抱えられていましたけれど、持って来た時とは違って、その中には光がありませんでした。そのはずです、中にあった光は、高くあの六角燈籠の上へうつされているのですもの。その光をうつさんがためにこうして、トボトボと十町余りの山道を杖にすがってやって来たのですから、今はその亡骸《なきがら》を提げて再び山へ戻るのが、まさにその本望でなければなり
前へ
次へ
全52ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング