、お嬢さんと引分けられ、清澄山へと預けられ、そこで修行をするうちに、空を飛ぶ鳥や地に這《は》う虫、山に棲《す》む獣と仲良しになり、茂太郎が西といえば西、東と言えば東、前へと言えば前、後ろへと言えば後ろ、泣けといえば泣きもする、笑えといえば笑いもする、芳浜の小島に、生えている美竹《めだけ》を、笛にこしらえ吹き鳴らす、その笛の音を聞く時は、往《ゆ》く鳥は翼を納め、鳴く虫は音をしのび、荒い獣も首《こうべ》を低《た》れて、茂太郎の傍へと慕い寄る……真紅島田《しんくしまだ》の十八娘、茂太郎のために願かけて、可愛の可愛のこの美竹」
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 誰いうとなく、こんな文句が流行《はや》り出したのは、それから暫くの後でありました。
 看板に山神奇童とあるから、それは山男の出来損ないのようなものであろうと、誰も最初はそう思っておりましたが、見に来たものは、まず誰でもその意外なのに驚かされないわけにはゆきません。清澄の茂太郎なるものは、まことに珠《たま》のような美少年でありました。天成の美少年である上に、その芸をかえる度毎に、装《よそお》いをかえました。或る時は薄化粧して鉄漿《かね》つけた公達《きんだち》の姿となり、或る時は野性そのままの牧童の姿して舞台の上に立つけれども、その天成の美少年であることは、芸をかえることによっても、装いを変えることによっても変ることはありません。
「まあ、綺麗《きれい》な子、可愛いのね」
 まずこの美少年の美を愛するものは、婦人の客でありました。
「物は磨いてみなけりゃわかりません、あの子が、あんなに綺麗になろうとは、わたしも思ってはいなかった」
 お角もこう言って、茂太郎の美しくなったことに眼を見開きました。だから、仲間の女芸人たちが、茂太郎を可愛がることは尋常ではありません。美少年の茂太郎は、楽屋でも可愛がられるが、婦人のお客からも可愛がられます。物好きな婦人客は、わざわざこの美少年を、近所の茶屋に招いて親しく面《かお》を見ようとする者がありました。その時はお角が、ちゃんと、おばさん気取りで附いて行くものだから、お客はうっかり手出しもできないで、うっとりと見惚《みと》れて、
「まあ、綺麗な子、可愛いのね」
 そうして、盃と御祝儀を与えて帰されることも度々ありました。茂太郎は、こんな意味において、日に日に婦人の贔負客《ひいききゃく》をひきつけていました。ある種類の婦人客のうちには、何かの好奇《ものずき》から、茂太郎を競争する者さえ現われようという有様です。お角も、その人気を得意には思いながら、また心配にもなってきました。
 両国附近のある酒問屋の後家さんが、ことに茂太郎を執心《しゅうしん》で、お角もそれがためには思案に乱れているとのことでしたが、本人の茂太郎は、いっこう平気で、自分の周囲に群がる肉の香の高い女たちには眼もくれず、清澄の山奥から連れて来たという、唯一の友達と仲睦《なかむつ》まじく遊んでいました。
 茂太郎が唯一の友というのは、長さ一丈五尺ばかりある一頭の蛇です。
 順番になると茂太郎は、この蛇を連れて舞台へ現われて、芳浜の小島の美竹《めだけ》で作ったという笛を吹いて蛇を踊らせます。舞台から帰ると自分の楽屋に蛇を連れ込んで、食物を与えたり、芸を仕込んだりしています。夜になると枕許の箱へ入れて、藁《わら》をかぶせてやり、
「お休みなさい」
 蛇の持ち上げた鎌首を撫でると、蛇は咽喉《のど》を鳴らして眠りに就くという有様であります。
 茂太郎はありきたりの蛇使いではありません。この子は、子供の時分から蛇に好かれる子でありました。人のいやがる蛇を集めて大切《だいじ》に育てておりました。
 ある日のこと、表通りは押返されないほど賑やかだが、人通りもない湿っぽい路次のところから、この軽業小屋の楽屋へ首を出した一人の盲法師《めくらほうし》がありました。
「こんにちは」
 舞台では盛んに三味線、太鼓の音や、お客の拍手がパチパチと聞えているのに、ここでは案内を頼んでも、出て来る人がありません。
「こんにちは」
 二度目に言ってもまだ返事がないから、盲法師は気兼ねをしながら中へ入って来ました。薄汚《うすぎた》ない法衣《ころも》を着て、背には袋へ入れた琵琶を頭高《かしらだか》に背負っているから琵琶法師でありましょう。莚張《むしろば》りの中へ杖《つえ》を突き入れると、
「おいおい、ここへ入って来ちゃいけねえ、按摩さん、勘違えしちゃいけねえよ」
 通りかかった楽屋番が注意を与えると、盲法師は、
「はいはい、あの、こちら様に、清澄の茂太郎がおりますんでございましょうか。おりますんならば、逢いたくってやって参ったものでございますから、お会わせなすって下さるわけには参りますまいか」
「何ですって、茂太郎さんに会いたいんだ
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