眼光で見つめていたが、突然、
「ははあ、なるほど」
小膝を丁《ちょう》と打ちました。
「それごらんなさいまし」
七兵衛は得意の微笑を浮べると、山崎の面《かお》には一種の感激が浮びました。
「あれだ、あの男だ、そうか、なるほど……いやあの男には、拙者も重なる縁がある、大津から逢坂山《おうさかやま》の追分で、薩州浪人と果し合いをやっている最中に飛び込んだのは、別人ならぬこの拙者だ。壬生や島原では、かけ違って、あまり面会をせぬうちに、組の内はあの通りに分裂する、芹沢が殺されて、近藤、土方が主権を握るということになったが、その後、あの男の行方《ゆくえ》がわからぬ、そうしているうちに、思いがけないにも思いがけない、甲州の白根山の麓、ちっぽけな温泉の中で、あの男を見出した、かわいそうに、目がつぶれていたよ、盲になって、あの温泉に養生しているのにぶっつかったが、その時は涙がこぼれたなあ。あれは甲府の神尾主膳へ紹介しておいたなりで、拙者も忙しいから上方へのぼって、今まで忘れていたようなものだ、ここであの男に会おうとは意外意外」
山崎譲は額面の上を仰ぎながら、感慨に堪えないような言葉で、こう言いました。
「おや、そうでございましたか。実はあの時分、私共も、あの方を尋ねて富士川口から甲州入りをしていたんでございますが……とうとうお目にかかることができませんでした」
七兵衛はこう言って、何の気もなしに縁台の薄べりへ手を置いた時に、何か手先にさわるものがありました。
指の先へ触ったものを、なにげなく眼の前へ抓《つま》んで来て七兵衛は、
「おや」
物珍しそうに、それをじっと見込みました。
「先生、先生」
「何だ」
「や、こいつはいい物が手に入りましたぜ」
「いい物とは何だ」
「これでございます、こんないい物が手に入るというのは、天の助けでございますな、お喜び下さい」
「何のことだか、拙者にはわからん」
と言って山崎譲が、七兵衛の手に抓《つま》み上げたものを見ると、それは径一寸ばかりの真鍮《しんちゅう》の輪にとおした、五箇《いつつ》ほどの小さな合鍵でありました。
「おいおい、お爺《とっ》さん」
七兵衛は山崎譲にその合鍵の輪を渡して、自分は甘酒屋の親爺を呼びました。
「はいはい」
「もうちっと先に、これこれのお客が、お前さんのところへ見えなかったかい。これこれではわかるまいが、ちょっと小いきな男で、片腕が一本無えんだ……身なりは、これこれ」
老爺《おやじ》は慌《あわ》ててそれを引取って、
「ええ、ええ、間違いございません、確かにおいでになりました、たった今でございます、小一時《こいっとき》ほど前のことでございます、ここで甘酒を召上りになって、角兵衛獅子に散財をしておやりなすった親分がそれなんでございます、その通りのお方でございました」
「そうだろう、そうなくっちゃならねえのだ……先生、そいつはがんりき[#「がんりき」に傍点]の奴の道具でございます、あいつ、何かに狼狽《あわて》たと見えて、ここへこんなボロを出して行ったのが運の尽きですな」
「なるほど、そうしてみるとよい獲物《えもの》だ」
「爺さん、それからどうしたい。その片腕の男は、角兵衛に散財をして、それからどっちの方へ出て行きました」
「エエ、なんでございます、多分、お山を御見物でございましょう。お帰りにお寄りになるとおっしゃったから、金洞山《こんどうざん》から中《なか》の岳《たけ》の方をめぐって、そのうちには、また私共へお戻りになるでございましょうと思います」
「そうしてその男は、一人っきりだったかね、それとも連れがあったかね」
「左様でございます、おいでになった時はお一人でしたが、お出かけになる時は、どうもあれはお連れでございましょうか、それとも別々なんでございましょうか、よくわかりませんが、強力が五人ほど一緒に連れ立って参りました」
「それだ」
山崎譲が、その時に足を踏み鳴らしました。
「どうやら、先生のおっしゃった通りの筋書でございますな」
「そうだろう、どのみち、それよりほかにはないんだ」
「それでは、出かけようじゃございませんか」
七兵衛から促《うなが》されて、山崎譲は、
「まあまあ、待て」
甲源一刀流の額面を仰いで、何をか一思案の体《てい》に見えました。
七兵衛が草鞋《わらじ》の紐を結んでいると、額面を仰いでいた山崎は、
「ちょっ、どう見ても癪《しゃく》にさわるなあ」
と舌打ちをしました。
「全く、あいつは、小癪にさわる奴でございますよ。そもそも、私共が、あいつと知合いになったのは、東海道の薩※[#「土+垂」、第3水準1−15−51]峠《さったとうげ》の倉沢で鮑《あわび》を食った時からでございますがね、その時から、あいつは無暗に、私に楯《たて》をついてみたがるんで、
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