ものだ」
「どうしたらいいでしょう、わたしは怖くって……」
お蝶は慄えながら、それでも再び屍骸の傍へ寄って来て、
「京お召でございます、藍《あい》に茶の大名《だいみょう》の袷《あわせ》、更紗染《さらさぞめ》に縮緬《ちりめん》の下着と二枚重ね……」
お蝶はようやく着物の縞目だけを見て、こう言いました。
「なるほど」
辻番の一人は、矢立と紙を出して、お蝶の口書《くちがき》を取ろうとするものらしい。
「帯は茶の献上博多《けんじょうはかた》でございましょうね」
「それから?」
「羽織は黒羽二重《くろはぶたえ》の加賀絞り……」
「なるほど、そうして髪は島田、鼈甲《べっこう》の中差《なかざし》、まあ詳しいことは御検視が来てからのことだ。ところでお前方」
二人の辻番は、改めて米友、弁信、お蝶三人の者を篤《とく》と見廻し、
「三人のなかで、誰がいちばん先にこの死骸を見つけなすった。いやまあ、後先《あとさき》はドチラでもよいが、拘《かかわ》り合《あ》いだから三人とも、御検視の来るまで控えていてもらいたい、御迷惑だろうがどうも已《や》むを得ん」
そこへ、また一人の辻番が、菰《こも》をかかえてやって来て、
「エライことが出来たなあ」
菰を女の屍骸へうちかけて、
「好い女だなあ、恋の恨みだろうか。いったい、ここでやっつけたのか、殺してここへ持って来たのか」
菰をかぶせてしまうのを惜しそうに、その屍骸を見比べていると、
「エエ、それは殺してここへ運んで参ったのではございません、あの土手の上で、なぶり殺しにして置いて逃げました、殺した人は男には違いありませんけれども、決して恋の恨みではございません、殺したくって、殺したくって、堪《たま》らない人なんでございます、よほど腕の利いた人で、無暗に人が殺したいのです、手にかけておいて、矢の倉の方へ逃げました」
突然にこう言い出したのは、人数の後ろに超然として、見えない眼をみはっていた弁信であります。
「エ、お前はそれを見ていたのかい」
辻番もその他の者も驚きました。弁信の言い分があまりに突然であったから、辻番らは呆気《あっけ》に取られているところへ検視の役人が来ました。それで型の如く、年頃、恰好、着類、所持の品、手疵《てきず》の様子を調べた上に、改めて宇治山田の米友に向いました。
「其方《そのほう》のところと、姓名は」
「鐘撞堂新道、
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