けていました。ある種類の婦人客のうちには、何かの好奇《ものずき》から、茂太郎を競争する者さえ現われようという有様です。お角も、その人気を得意には思いながら、また心配にもなってきました。
両国附近のある酒問屋の後家さんが、ことに茂太郎を執心《しゅうしん》で、お角もそれがためには思案に乱れているとのことでしたが、本人の茂太郎は、いっこう平気で、自分の周囲に群がる肉の香の高い女たちには眼もくれず、清澄の山奥から連れて来たという、唯一の友達と仲睦《なかむつ》まじく遊んでいました。
茂太郎が唯一の友というのは、長さ一丈五尺ばかりある一頭の蛇です。
順番になると茂太郎は、この蛇を連れて舞台へ現われて、芳浜の小島の美竹《めだけ》で作ったという笛を吹いて蛇を踊らせます。舞台から帰ると自分の楽屋に蛇を連れ込んで、食物を与えたり、芸を仕込んだりしています。夜になると枕許の箱へ入れて、藁《わら》をかぶせてやり、
「お休みなさい」
蛇の持ち上げた鎌首を撫でると、蛇は咽喉《のど》を鳴らして眠りに就くという有様であります。
茂太郎はありきたりの蛇使いではありません。この子は、子供の時分から蛇に好かれる子でありました。人のいやがる蛇を集めて大切《だいじ》に育てておりました。
ある日のこと、表通りは押返されないほど賑やかだが、人通りもない湿っぽい路次のところから、この軽業小屋の楽屋へ首を出した一人の盲法師《めくらほうし》がありました。
「こんにちは」
舞台では盛んに三味線、太鼓の音や、お客の拍手がパチパチと聞えているのに、ここでは案内を頼んでも、出て来る人がありません。
「こんにちは」
二度目に言ってもまだ返事がないから、盲法師は気兼ねをしながら中へ入って来ました。薄汚《うすぎた》ない法衣《ころも》を着て、背には袋へ入れた琵琶を頭高《かしらだか》に背負っているから琵琶法師でありましょう。莚張《むしろば》りの中へ杖《つえ》を突き入れると、
「おいおい、ここへ入って来ちゃいけねえ、按摩さん、勘違えしちゃいけねえよ」
通りかかった楽屋番が注意を与えると、盲法師は、
「はいはい、あの、こちら様に、清澄の茂太郎がおりますんでございましょうか。おりますんならば、逢いたくってやって参ったものでございますから、お会わせなすって下さるわけには参りますまいか」
「何ですって、茂太郎さんに会いたいんだ
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