た時に、神尾主膳が、
「お角、今に始まったことではないが、お前の腕の凄いのには恐れ入った」
改まったような言いがかりだから、お角も用心して、
「殿様、改まって何をおっしゃるのでございます」
「しらを切っちゃいかん、お前が今度の房州行きなんぞは運もよかったが、腕の凄さは、いよいよ格別なものだ」
「神尾の殿様、そんな気味の悪いことをおっしゃっておどかしちゃいけません、こう見えても気が小さいんですからね」
「あんまり気が小さいから、少しはオドかして、大きくしてやらぬことにはしまつがつかん」
「何をおっしゃるんですか、わたしには一向わかりません」
「お前にはわかるまいが、こっちには、すっかり種が上っているんだ、房州へ行って命拾いをして来た上に、金箱を背負《しょ》い込んで来て、それでなにくわん面《かお》をして口を拭っているところなんぞは不埒千万《ふらちせんばん》だ、なあ、福」
主膳が福兄を顧みると、福兄は一も二もなく頷《うなず》いて、
「そうですとも、そうですとも、ありゃ実際、不埒千万ですよ、あれはただじゃ置けませんよ」
「福兄さんまでが殿様に御加勢なんですか、金箱とおっしゃったって、まだ分らないじゃありませんか、まだ乗るか反《そ》るか、打ってみなけりゃわからないじゃありませんか」
お角は外《そ》らしてしまおうとすると、神尾はそれを取って抑えて、
「その手は食わん、金箱というのは、茂太《もた》とやら茂太《しげた》とやらいう小倅《こせがれ》のことではない、そのほかに確かに見届けたものがあるのじゃ。若い綺麗《きれい》な、金のたくさんある男と、お前が仲睦まじく飲んでいたとやら、それをちゃあーんと見届けた者が我々の仲間にある。お角、あんまり凄い腕を振い過ぎると、祟《たた》りが怖かろうぜ、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百とやらもだまっちゃいなかろうぜ」
「エ!」
神尾からこう言われて、さすがのお角もギョッとしたようです。
「それは違います、それは違います」
お角は、あわててそれを打消すと、神尾が意地悪く、
「福、お角は違うと言ってるが、お前はどう思う」
「違いませんな」
福兄は得たりと引取って、空嘯《そらうそぶ》く。
「では、福兄さん、お前さん、何をごらんなすったの」
「さあ、拙者が、じか[#「じか」に傍点]に見たというわけじゃねえのだが、両国の、とある船宿の二階で、さ
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