一ぺん言ってみろ、本来なら貴様が突き倒されてしまうところを、危ねえ! と思ったから左へよけて、貴様の身体は無事だったが、こっちがそのハズミを食って身代りに倒れたとは何の言い草だ、左へよけて身体の無事であった方は無事でよかろうけれど、身代りに倒された方こそいい面《つら》の皮《かわ》だ、この面の皮をいったいどうしてくれるんだ」
 金助はこう言いながら、グイグイと米友の着物を引張りました。
「おい、あんまり引張るなよ、質《しち》の値がさがらあな、着物を引張らなくっても文句は言えそうなもんだ」
 米友は仕方がなしに引き寄せられていると金助は、いよいよ怒り出して、
「この野郎、いやに落着いていやがら。いったい、人を転がしといて、身代りに倒れたで済むか、この野郎」
「だって仕方がねえじゃねえか、おいらが倒れなけりゃあお前が倒れるんだ、お前が倒れたからおいらは倒れないで済んだんだ、幾度いったって同じ理窟じゃねえか、いいかげんにしといた方がお前の為めになるよ」
 この時に金助は、火のようになって、
「この野郎、もう承知ができねえ」
 拳を上げてポカリと食《くら》わせようとしたが、相手が宇治山田の米友であります。
「おやおや、お前、おいらを打《ぶ》つ気かい」
 金助の打ち下ろした拳を、米友はしっかりと受け止めました。
「こんな獣物《けだもの》は痛え思いをさせなくっちゃわからねえ、物の道理を言って聞かせてもわからねえ野郎だ」
 拳を取られながら金助は、歯噛みをしていきり立っています。
「ジョ、ジョーダンを言っちゃいけねえ、理窟はおいらの方にあるんだ」
 米友は金助の拳を、なおしっかりと握って、口の利き方が少し吃《ども》ります。
「放せ、野郎、放せというに」
 金助はしきりにもがくけれども、米友に掴《つか》まれた手を、自分の力でははなすことができません。
「放さねえ」
 米友も漸く、虫のいどころが悪くなってきたようです。
「放さなけりゃ、こうしてくれるぞ」
 金助は左の手に持ち替えていた折を、自暴《やけ》に振り上げて米友の面《かお》へ叩きつけようとしたのを、素早く面をそむけた米友が、
「野郎!」
 額の皺《しわ》が緊張し、面の色が赤くなって、口から泡を吹きはじめました。しかしながら、ここまで込み上げたのをグッと怺《こら》えて、ただ金助の面を睨めただけで、その握った拳を、突き放しもしなけれ
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