そこで弥次馬に弥次馬が重なってくると、米友を追いかける事の理由が、いよいよわからなくなってしまいました。ただ追蒐《おいか》けるがために追蒐ける人間が、雲のように米友のあとを慕って来るのであります。
「何でございます」
「泥棒でございましょうよ」
「何の泥棒でございます」
「梯子を持っているから、半鐘の泥棒でございましょうよ」
というのはまだ出来のよい方でありました。この非常の場合においても、梯子を抱えて走るというのは、米友が商売道具を大切にする心がけと、それから証拠を残しては後日のために悪いという用心とのほかに、これを持っていることが逃げるのにかえって都合がよいからであります。
 追われて行詰った時は、その行詰った塀なり軒なりへそれを倒しかけてスルスルと上って行きます。弥次馬が追いついた時分には上からそれを引き上げて、裏へ飛んで下りたり横へ走ったりします。こうして米友は、淡島様から浅草寺《せんそうじ》の奥山へ逃げ込み、奥山から裏の田圃《たんぼ》へ抜けました。田圃へ来て見ると、もう追いかける人もあとが絶えたようであります。
 どのみち、本所の鐘撞堂へ帰るべき身であるけれども、遠廻りをし
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