うきょう》たる一夜を、ともかく熟睡に落ちていた竜之助の安楽も長くはつづきませんでした。
不意に夥《おびただ》しい叫喚が耳に近いところで起り、つづいて雷の落つるような音がして、家も畳も一時に震動すると気がついて、手を伸ばして枕許の刀と脇差とを探った時に、手に触れたものはヒヤリとして、しかも手答えの乏しいもの。
「水だ!」
畳の上を水が這《は》っています。
刀と脇差とを抱えて立ち上った時に、水は戸も障子も襖《ふすま》も一時に押破って、この寝室へ滝の如くに乱入しました。
あっという間もなくその水に押し倒された竜之助の姿を見ることができません。
山水の勢いは迅雷の勢いと同じことであります。あっという間に耳を蔽うの隙もありません。
裏の山からこの水を真面《まとも》に受けたこの家の一部を、メリメリと外から裂いているうちに余の水は、もう軒を浸してしまいました。水が軒を浸す時分には、家の全体が浮き出さない限りはありません。この水は漫々と遠寄せに来る水ではなく、一時にドッと押し寄せた水ですから、土台の腰もまた一時に砕けて、砕けたところを只押《ひたお》しに押したものだから、家はユラユラと動いて
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