り言葉をかけて失敗《しくじ》っちゃあ詰らねえ、いったい、どこの店へお入りなさるんだか、心静かに見届けておいての上……ああ、天道|人《ひと》を殺さずとはよく言ったものだ、金助がこうして詰らなく泳いでいるのを、天が哀れと思召せばこそ、ああしていい殿様を授けて下さる」
 金助は雀躍《こおどり》をして喜びながら、駈け出して行く途端、たそや[#「たそや」に傍点]行燈の下で文《ふみ》を読んでいた侍にぶっつかろうとする。
「無礼者」
「御免下さいまし」
 危なくそれを避けて、今度は天水桶に突き当ろうとして、それも危なく身をかわし、見え隠れに神尾主膳と覚しき人のあとを追って行きました。
 神尾主膳と机竜之助とが、万字楼の見世先《みせさき》へ送り込まれようとする時に、
「もし、殿様、躑躅ケ崎の御前」
 金助がこう言って横の方から呼びかけたので、神尾主膳が振向きました。
「金助……」
「へえ、金助でございます、殿様、どうもお珍らしいところで、エヘヘヘヘヘ」
「貴様もこっちに来ているのか」
「へえ、流れ流れて、またお江戸の埃《ごみ》になりました、殿様には相変らず御全盛で結構でいらっしゃいます」
「いいところ
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