駕籠から出た時に、
「これはお珍らしい、神尾の御前」
と相模屋の内儀《ないぎ》が驚くのを、
「神尾ではない、内密内密《ないしょないしょ》」
と抑《おさ》えて先に通ったのは、やはり神尾主膳でありました。
それにひきつづいて机竜之助が、手さぐりにして駕籠を出ようとすると、神尾は自分の眼を指さしながら、
「ここが悪い、手を引いてやってくれ」
「畏《かしこ》まりました」
主膳は先に立ち、竜之助は女に手を引かれて茶屋へ通りました。
「今時分、思い出したように神尾の御前がお出ましになるのはどうしたものだろう、御前は甲府お勝手へお廻りになったと聞いたが……」
表向《うわべ》は鄭重《ていちょう》に迎えたこの茶屋の内儀が、二人を案内したあとで眉をひそめました。
ちょうどこの時分に、水道尻の燈明《とうみょう》の方から、馬鹿な面《かお》をして行燈《あんどん》の数をかぞえながら歩いて来る一人の男がありました。それは宇津木兵馬につれられて、甲州から江戸へ出たはずの金助で、
「ちょッ、詰らねえな、俺たちはああして、茶屋から大見世《おおみせ》へ送られる身分というわけじゃあなし、岡場所か、銭見世《ぜにみせ》が
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