。
「洗濯をなさるか、可愛い人へ、お心づくしのために」
主膳はお銀様の面《かお》を覗《のぞ》きました。お銀様は、その時にツイと立ってまた井戸縄へ手をかけると、神尾主膳は慌《あわ》ててそれを押え、
「はッ、はッ、はッ」
と声高く笑いました。その笑い声を聞くと、お銀様は井戸縄へ手をかけたままで、じっと神尾主膳の面《おもて》を睨めます。
「躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の古屋敷にこれと同じような井戸があった、その井戸で、そなたの好きな幸内とやらに、たんと水を呑ましてやったことがあるわい、それから以来、夕方にこの車井戸の軋《きし》る音を聞くと、拙者は胸が悪くなってたまらぬ、この車井戸の音が癪にさわる」
お銀様の持っている井戸縄を、片手でもって主膳は横の方から引ったくりました。
「何をなさる」
お銀様は強い声でありました。
「は、は、は」
神尾の笑い方は尋常の笑い方ではありません。その笑い方を聞くとお銀様はブルブルと身を慄わせ、
「幸内の敵《かたき》」
思わずこう言って歯を噛むと、
「ナニ、幸内の敵がどうした、たかが馬を引張る雇人の命、この神尾が手にかけてやったのを過分と心得ろ、敵呼ばわり
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