ず》んでいるもののようです。裏手の井戸へ行こうとするらしい主膳の姿が、その雑草の中に隠れるのを、お角はあとを跟《つ》いて行くと、お角の姿もその雑草の中に隠れてしまうほどに、萩や尾花が生《お》い覆《かぶ》さっています。
「誰じゃ、そこで水を汲んでいるのは」
 井戸端にいる人は返事をしませんでした。主膳は焦《じ》れた声で、
「そこで夜《よ》さり水を汲んではいかん、この井戸は、化物屋敷の井戸で、曰《いわ》くのある井戸と知って汲むのか、知らずに汲むのか」
 こう言われたけれども井戸端では、やはり返事がありません。たしかに人はいるにはいるのです。それも白い浴衣《ゆかた》を着た人が少なくとも一人は、しゃがんでいることは誰の眼にもわかります。
「誰じゃ、そこで水を汲んでいるのは」
 しつこく繰返して井戸端へ寄った神尾主膳、酔眼をみはって、
「お銀どのではないか」
 それはお銀様でありました。お銀様は盥《たらい》に向って何かの洗濯をしているところであります。さきほどから神尾が、再三言葉をかけたのが聞えないはずはありません。それに返答をしないのみか、こうして摺寄《すりよ》って来ても見向きもしませんでした
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