か」
「水を汲んで悪いとは言わん、車井戸を鳴らしてはいかんのじゃ」
「それでも、車を鳴らさずに、あの井戸の水を汲むわけには参りますまい」
「拙者《わし》はあの井戸の音が嫌いじゃ、今時分あれを聞くと堪《たま》らん、なにも拙者の嫌いな車井戸を、ワザとああして手繰廻《たぐりまわ》すには及ばんじゃないか」
「それは御前の御無理でございます、何か御用があるからそれで、水をお汲みなさるんでございましょう、御前をおいやがらせ申すために、水を汲んでいらっしゃるのではござんすまい」
「あれ、まだよさんな。よし、拙者が行って止めて来る」
神尾主膳は刀を提げて立ち上りました。その心持も挙動も、酒の上と見るよりほかには、お角には解釈の仕様がありません。
「まあ、お待ちあそばせ」
お角は主膳を遮《さえぎ》ってみたけれど、主膳は聞き入れずに縁を下りて、庭下駄を突っかけました。お角はなんとなく不安心だから、それについて庭へ下りました。
化物屋敷へ人が住むようになったけれども、この庭まではまだ手入れが届いていません。八重葎《やえむぐら》の茂るに任せて、池も、山も、燈籠《とうろう》も、植木も、荒野原の中に佇《たた
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