て、ここへ流されたものとも見えません。
 それと、面白いことは、神尾の前に晩酌のお相手をしているのが、勝沼の宿屋にいた、もとの両国の女軽業《おんなかるわざ》の親方のお角《かく》であることであります。
「お角、お前はそんなに金が欲しいのか」
 神尾は盃を置いて、お角の面《かお》を見ました。
「御前《ごぜん》、ほんとに、わたしは今となってお金があったらと思います、何をしようにもお金がなくては動きが取れません、全く水気《みずけ》の切れたお魚のようなものでございます」
「それは御同前だ」
と言って、神尾は苦笑いをしました。
「殿様などは失礼ながら、お金をお持たせ申せば、直ぐに使っておしまいなさるけれども、わたしなんぞはそうではございません、それを資本《もとで》に、一旗揚げてみようというのでございますから、全く心がけが異《ちが》いますよ」
「全く頼もしい、お前に金を持たせれば、何か一仕事やるだろう、そこは拙者も見ているけれど、残念ながら金は無い、拙者は金がない上に、世間に面向《かおむ》けもできん、うっかりすると命までなくする」
「それでございますからね、わたしが少し資本《もとで》を工面《くめん》
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