ければ、前途もあるのではありません。
今、お銀様に離るることしばし、こうして雨を聞いていると、竜之助の心もまた淋《さび》しくなります。この人の心が淋しくなった時は、世の常の人のように道心が萌《きざ》す時ではありません。むらむらとして枕許に投げ出してあった刀を引き寄せて、ガバと身を起しました。例によって蒼白《あおじろ》い面《かお》であります。竜之助が引き寄せた刀は、神尾主膳の下屋敷にいる時分に貰った手柄山正繁《てがらやままさしげ》の刀であります。それをまた燈火に引き寄せてはみたけれど、さてどうしようというのではなし、茫然として坐り直して、刀を膝へ置いたばかりであります。
その時に家の外で、急に人の声が噪《さわ》がしくなりました。
「危ねえ、土手が危ねえ」
という声。
「旦那様、笛吹川の土手も危ないそうでございます、山水《やまみず》も剣呑《けんのん》でございます、水車小屋は浮き出しそうでございます、あらくの材木はあらかたツン流されてしまいました、今にも山水がドーッと出たら大変なことになりそうでございます、誰も今夜は、寝るものは一人もございません」
小泉の主人にこう言って注進に来たのは
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