、小前《こまえ》の百姓らしくあります。洪水《おおみず》の出る時としてはまだ早い、と竜之助は思ったけれども、この降りではどうなるか知らんとも思いました。
 笛吹川はこれよりやや程遠いけれど、それへ落つる沢や小流れの水が、決して侮り難いものであることは、竜之助も推量しないわけではありません。
 ことに山国の出水《でみず》は、耳を蔽《おお》い難きほどの疾風迅雷の勢いで出て来ることをも聞いていないではありません。不幸にして山国とだけは心得ていても、この辺の地形についてまるきり観測の余地のない竜之助は、果して出水がどの辺に当って起り、どの辺に向って来るんだか、充分に呑込めていないのでありました。白刃の来《きた》ることと、天災の来ることとはあらかじめ測ることができません。いま出水の危険を外に聞いた竜之助が、それと共に自分の立場を考え出したことは、そうあるべきことであります。しかし、それはただ立場を考えただけに過ぎません。盲目的に考えてみただけに過ぎません。ここに引き寄せた手柄山正繁の刀が、それに向って何の役に立つものでないことはよくわかっているはずであります。この時に外で殷々《いんいん》と半鐘を撞
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