ほかに用事があっての、お前の方へ行っておられないから、持主によろしく申してくれ」
と言ってこの出家は、ムク犬の頭を三べん撫《な》で、お松に名前を尋ねる隙も与えないで、さっさと行ってしまいました。
お松は呆気《あっけ》に取られましたけれども、それにしても、笠の中から自分を見ていた坊さんの面《かお》がまるいものだと思いました。
十六
道庵先生は、柳橋の万八楼で開かれた書画会へ出かけて行きました。(その席で先生一流の漫罵やまぜっ返しがあったけれどこれを略す。)宴会の時分に、誰の口からともなく、この正月に亡くなった高島秋帆の噂が出ました。そうすると席の半ばにいた道庵先生が、しゃしゃり出てこんなことを言いました、
「四郎太夫はエライよ。実は拙者も長崎の生れでね、(註、道庵先生はこんなことを言うけれど、事実長崎の生れであるや否やは怪しいものである。)高島のことはよく知っているよ。太閤《たいこう》時代からの家柄でね、先祖代々、異国と御直《おじき》商売というのをやっていたからなかなか金持よ、俸禄はたった七十俵五人|扶持《ぶち》しきゃ貰っていねえけれど、五十万石の大名と同じぐら
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