っているようであります。
 それを聞きつけた女は、[#底本は、改行天付き]
「おやおや、もし、あなた様、そのお方はどなたでござりまする」
 女は、立戻って来ました。そうして、兵馬の抱えている人をさしのぞこうとしますから、
「これは拙者の連れの者で、ちと酒の上の悪い男」
「もし、そのお方のお声に、どうやら、わたくしは聞覚えがあるようでございます」
「なんの、そなたたちの知った者ではない」
 兵馬は、隠した方がよかろうという心持であったけれど、
「誰が、拙者の断わりなしにこんなところへ連れて来た、こんな暗いところへ誰が連れて来たのじゃ、さあ水を持て、水、誰もおらぬか」
 兵馬は隠そうとしても、人心地のない主膳は、うわ[#「うわ」に傍点]言のように声高くこんなことを言い出しました。
 女は立っていることができません。
「あの、そのお方のお声は……どうもわたくしは聞いたことのあるようなお声でございますが、もし間違いましたら、御免下さいまし、そのお方はあの、染井の殿様ではございませんか」
「染井……染井の化物屋敷、こんな陰気臭いところへ、誰が連れて帰った……」
 主膳は切れ切れにこう言って唸りま
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