《ひそ》んでいるのであろうと、兵馬は、
「どうなされました」
「誰か参りました、今わたしに突き当りました」
「今の駕籠屋共であろう」
「いいえ、別の人のようでございました、あちらからバタバタと駈けて来て、わたしに突き当ると直ぐに姿を見えなくしてしまいました」
「誰か、そこにいるのは誰だ」
 兵馬は咎《とが》めてみるけれど、誰も返事をする者がありません。
「隠れているな」
 兵馬は進んで行き、
「怪しい奴だ。しかし心配なさらぬがよい、そこまで送ってお上げ申そう」
 兵馬は女の先に立ちました。その時、
「うーむ」
と人の唸《うな》る声。
「あれ、人の唸っているような声が」
 女は、さすがに気味を悪がって、足を留めました。
「ああ」
 兵馬もその唸り声には、驚かされないわけにゆかなかったようです。
「今の悪い奴でございましょう、それとも、あの駕籠屋が、まだそこいらに倒れているのでございましょうか」
「左様ではない、あれは……」
と兵馬は答えて、当惑しました。今、暗い中で唸り出したのは、さいぜん追い飛ばした駕籠屋でもなく、いま出会頭《であいがしら》にお角に突き当った怪しい者でもなく、それとは全
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