き》れ返ったのは、それが普通の駕籠ではなく、切棒の駕籠であったからです。本来、吉原へは医者のほかは、乗物では入れないことになっています。
「おい、道庵がやって来たぞ、万字楼に病人を一人取残しておいたから、先生、ぜひひとつ行って助けて来ておくんなさいと頼まれたから、道庵が出向いて来たんだ、ばかにするない」
 切棒の駕籠、すなわちあんぽつ[#「あんぽつ」に傍点]の中で、しきりに怒鳴っているのが道庵先生です。
 酔っぱらっているとは言いながら先生、飛んでもない所へ出て来たものだと見物の中にはハラハラする者が多かったけれど、先生自身も酔っているし、駕籠舁《かごかき》にもしたたか飲ませているものだから、見ていられない恰好をしてこの騒ぎの中へ、よたよたと舁《かつ》ぎ込んだものです。
 それが忽《たちま》ち茶袋にとっつかまったのはあたりまえです。取捉まって引き出されるまで道庵は気焔《きえん》を揚げていましたけれど、茶袋は取り上げる限りではない。引き出して、天水桶の水をぶっかけて、弄《なぶ》り殺《ごろ》しにも仕兼ねまじきところを、屋根の上にながめていた宇治山田の米友が、
「あっ、ありゃ長者町の先生だ」
前へ 次へ
全200ページ中124ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング