す。力を緩《ゆる》めると、
「無礼な奴、斬って捨てる」
 主膳は直ぐにつけ込んではねあがって刀を抜こうとしますから、兵馬は再びその首を自分の胸へ、いよいよ強く押しつけるよりほかに仕方はありません。
「アッ、苦しいッ、放せ」
「お聞かせ下さらぬ以上は、決してお放し申しませぬ」
「放せッ、苦しい、死ぬ」
「放しませぬ」
「く……」
「さあ、お聞かせ下さい」
「く、死……」
 ほとんど死物狂いで主膳がもがくから、兵馬はそれに応じて満身の力を籠めて抱き締めると、やがて急に主膳の力が抜けました。力が抜けたかと思うと、ガックリとその首を、兵馬の胸へ垂れてしまいました。
「や、息が絶えた、死なれたか」
 兵馬も我ながら驚きました。知らず知らず自分は、神尾主膳を絞《し》め殺してしまったものらしくあります。

         十二

 この場にも意外の変事が起りましたけれど、これを外の騒ぎに比べると物の数ではありません。万字楼の前を中心にして、吉原の廓内で市街戦が起っているようなものであります。
 秋葉山《あきばさん》の大燈籠の下で、近藤勇の手紙の摺物《すりもの》を読んでいた二人の浪士と、それを聞いて
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