はじめに参りましたのが土屋様のお邸の歩兵さん、あとから鉄砲を持って参りましたのが西丸の歩兵さん、今にもこれへ押上って参ることと思います、お腰の物、お懐中物、残らず次へ持参致させました」
「小癪《こしゃく》にさわる奴共」
とおこったけれども、彼等を相手に争う気にもなれません。
 こうして避難させられたお客は神尾主膳だけではなく、この夜、万字楼に登った客は、いちいちこうして避難させられました。
 相当に身分のあるものもあり、相当に勇気のあるものもあったろうけれど、誰ひとり残って、歩兵を相手に取ると頑張るものはありません。すすめられるままに、裏手や非常口から避難してしまいました。宇津木兵馬も無論その一人です。
「金助」
 非常口で兵馬は、金助を見かけたから呼びかけると、
「宇津木様、驚きましたな」
「神尾殿はどうした」
「へえ、神尾の殿様は、もう茶屋へお引取りになってしまいました」
「その茶屋へ案内しろ」
「よろしうございます」
 金助は兵馬の先に立って走る。
「茶屋はどこだ」
「たしかこの辺でございましたっけ」
「ナニ、たしかこの辺、貴様はその茶屋を知らんのか」
「茶屋から送られて参ります
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