来ているし、懐ろには、さきほど浅草広小路で集めた銭が充分に入れてあるから、さのみ貧しいというわけではありません。
 米友が吉原の大門を潜ったのは、申すまでもなく今宵が初めてであります。その見るもの聞くものが、異様な刺戟を与え、その刺戟がまたいちいち米友流の驚異となり、咏歎《えいたん》となり、憤慨となるのは、また申すまでもないことであります。米友が眼を円くして進んで行くと、ふと自分の前を、尖《とが》った編笠を被《かぶ》って肩に手拭をかけて、襟に小提灯をつるした三人一組の読売りが通ります。
「エエ、これはこのたび、世にも珍らしき京都は三条小橋縄手《さんじょうこばしなわて》池田屋の騒動」
「おや、池田屋騒動って何でしょう」
「稲荷町に池田屋という呉服屋さんがあってよ」
「呉服屋さん? その呉服屋さんがどうしたの」
「どうしたんですか、縄付になったんでしょう」
「縛られてしまったの」
「そうでしょう、縄で縛られたと言っているじゃありませんか」
「エエ、これはこのたび、世にも珍らしい京都は三条小橋縄手の池田屋騒動……」
「稲荷町の呉服屋さんじゃありませんよ、京都三条と言ってるじゃありませんか」

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