造が報告に来てくれたから、東雲の胸も鎮まりました。
「今度は勝負でございますね、もうお一手合《ひとてあわ》せ、お願い致しましょう」
東雲は惜しいところで負けたのが、思いきれないようであります。
兵馬は、それどころではない。碁のお相手は、もう御免を蒙りたいのであります。けれども東雲はいよいよ熱くなって、
「どうぞ、もう一石《いっせき》」
東雲は、兵馬の心持も知らないで戦いを挑《いど》むから、兵馬も詮方《せんかた》なしに、
「今度は負ける」
やむを得ず、碁笥《ごけ》の蓋を取りました。
この時に、万字楼の表通りが遽《にわか》に噪《さわ》がしい人声であります。第三局の碁を打ちはじめようとした兵馬も、東雲も、新造も、その噪がしいので驚きました。新造が立って表の障子を細目にあけて、楼上から見下ろしてハタと締め切り、
「茶袋が参りましたよ、茶袋が」
「おや、歩兵さんがおいでになったの、まあ悪い時に」
と言って、東雲の美しい眉根に再び雲がかかりました。
「茶袋とは何だ」
兵馬が新造にたずねると、
「歩兵さんのことでございます」
「ああ、このごろ公儀で募った歩兵のことか、あの仲間には乱暴者が
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