少なくとも二十や三十の金」と言われて兵馬は、金助の態度を憎らしく、図々しいものだと思ったが、
「それもそういうものか知らん、暫く待っていてくれ」
何を考えたか、兵馬はこの一刻を急ぐ場合に、金助を一人そこへ残してこの間を立去りました。
兵馬は老女の許しを得て、お松を廊下に呼び出して、
「お松どの、まことに申し兼ねるが無心がある……」
廊下で立ちながら、苦しそうにこう言いました。
「何でございます、兵馬さん」
お松は心配そうに兵馬の面《かお》を見ました。兵馬から折入ってこんな無心を言いかけるようなことは、今までにないことでありました。
「申しにくいことだけれども……」
兵馬は二度まで苦しそうに前置をして、
「急にさしせまった入用《いりよう》が起った故、金子《きんす》を少々用立ててもらいたいが」
兵馬から苦しそうにこう言われて、お松はかえって安心した様子であります。安心したのみならず、兵馬からこんな無心を言いかけられたことを、かえって嬉しく思うように見えました。
「わたしの持っているだけで、御用に立ちますならば……」
「それが大金というほどではないけれど、差当り少しばかり余分に欲しいのじゃ、二十両ほど」
「二十両」
お松は繰返して、これも当惑の色が現われました。
「わたしの持っているのが、今、十両ほどありますけれど……」
「拙者《わし》は、僅かに二三両しか持合せがないので困っている」
「どうしましょうね。わたしのを差上げてまだ、大へんに足りないんでございますね、困りました」
お松はせっかくの兵馬の無心を、充分に満足させることのできぬのを、ひとかたならず悶《もだ》えるように見えます。
「ともかく、それだけを借用したい、あとはまた何とか工夫するから……」
「お待ちなさいませ」
お松は自分の部屋へ取って返して、紙入れに入れたままを兵馬の手に渡しながら、
「あとは、あの、わたしから御老女様へお願い申してみましょうか」
「御老女へ……それはいかん」
兵馬は頭を振りました。
「でも、急なお入用《いりよう》ならば、わたしから御老女様へお願いしてみるのがいちばん近道と思います、快く聞き届けて下さるに違いありません」
「しかし、この金の入用な筋道は、御老女様には話せない」
「いったい、何に御入用なんでございます」
「実はそなたの前で言うのも恥かしいが、これから吉原まで行かねばなりませぬ」
「まあ、吉原へ、あんなところへ、これから?」
と言ってお松も、さすがに呆《あき》れたけれど、兵馬の吉原へ行くという意味は、そんなわけのものでないことを知っています。そうしてともかくも、相当の大金を持って、あの里へ行こうというのには、何か重い用向きのあることを察しないわけにはゆきません。それを自分にうちあけられてみると、どうしてもお松として、兵馬が望むだけの金を拵《こしら》えてやらねば済まない心持になりました。
「どういうわけか存じませんが、あなた様が、今時分、あの里までお出かけにならなければならないのは、定めて大事の御用と存じます、お金のお入用も一層大事のことと思いますから、吉原というようなことや、あなた様のことなんぞは少しも知らないようにして、御老女様から融通を願って参ります、他からお借り申すのと違って、御老女様からお借り申す分には、恥にも外聞にもなりは致しませぬ」
「それが困るのじゃ、吉原へ用向きというのはほかではない、そなたの以前|仕《つか》えていた神尾主膳殿が、あすこにいるということを、たったいま知らせてくれた人がある」
「まあ、神尾の殿様が?」
「知らせて来てくれたものの話には、神尾殿は茶屋から上って大籬《おおまがき》とやらに遊んでいるそうな。そこへ近づくには、自分も、やはり茶屋から案内を受けてその大籬とやらへ、上ってみねばならぬということじゃ。その時の用意は……二三十両の金を用意して行かぬと恥を掻くこともあるとやら。恥を掻くのは厭《いと》わぬとして、万一、それがために時機を失するようなことになっては残念」
「そうでございましたか。そうでございましょうとも。そういう場合ならば、充分の御用意をなすっていらっしゃらなければ、殿方のお面《かお》にかかるようなこともございましょう、よろしうございます、わたしから御老女様にお願い申しますから」
「それは堅くお断わり申す、事情はどうあろうとも、吉原へ行くために金を借りたということが後でわかると、御老女にも面目ない」
「兵馬さん、少しお待ち下さいませ、お手間は取らせませぬ、わたし、よいことを考えつきましたから」
お松はこう言って兵馬を引留めておきながら、廊下をバタバタと駆け込んだところはお君の部屋でありました。
お松はよいところへ気がつきました。お君の部屋へ飛んで行って手短かに、金の融通を頼むとお
前へ
次へ
全50ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング